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著書「沖縄芝居とその周辺」を
手にした大野道雄さん |
沖縄の芝居が人生をかえた
ひとつの芝居が半生を変えた。初めて訪れた沖縄。そこで目にした沖縄芝居が大野道雄さん(70)のその後の生き方を転換させた。花形産業のひとつ、民間テレビ局を中途退職。単身で4年間沖縄・豊見城(とみしろ)に定住、沖縄芝居をはじめとする沖縄芸能の調査研究に没頭した。昨年9月、その研究成果などをまとめた著書「沖縄芝居とその周辺」を出版した。願いは「芝居など芸能を通して、本土と沖縄との懸け橋になること」。大野さんに沖縄芝居にかける熱い思いを語ってもらった。
大野さんが初めて沖縄を訪れたのは昭和35(1960)年。この時、沖縄の友人に連れられて芝居を見に行った。その芝居は、民謡にせりふをのせた、いわば土着の「歌劇」だった。「これまで聞いたことも、見たこともない歌劇。いやぁ、本当に仰天した」と、そのカルチャーショックの大きかったことを振り返る。
というのは、本土で一般に知られていた歌劇の伝統は、西欧から輸入されたオペラやミュージカルだったからだ。
それ以降、大野さんの沖縄芝居への関心は高まるばかりとなった。だが、勤めていた民放局の仕事に忙殺されて、沖縄芝居とは一定の距離を置くことに。それでも、毎年9月の敬老の日を中心に沖縄を訪れ芝居の調査をした。敬老の日を選んだのは、芝居の公演回数が減り、正月、母の日に加え、敬老の日前後にしか見られなくなったからだ。
「台本のない沖縄芝居の調査研究では、芝居を数多く見ることが不可欠。年に1回の沖縄への訪問調査では間に合わなくなる」。そう判断した大野さんは、民放局を中途退職し、沖縄へ移り住むことを決断した。沖縄行きは事前に夫人にも話していたので、了承してくれた、という。
沖縄に住み、調査を開始して気付いたことがある。それは、名役者といわれる人の自叙伝に不確かなことが多いことだった。事柄が発生した日時を特定しておらず、例えば「そのころ」、「同じころ」など記述にあいまいなことだった。昔活躍した多くの役者が明治、大正のことを昭和になって書いているため、記憶があいまいになっているからだと推量した。
そこで、具体的な事柄を特定するには新聞が一番と考え、新聞記事を探すことにした。戦前の沖縄の新聞は先の沖縄戦で灰塵(じん)となり、現物は残っていなかったが、そのコピーが沖縄の図書館に残っていた。それ以来、大野さんの調査のための図書館通いが始まった。連日、芸能関連記事を抜き取っては、コピーを繰り返した。芸能関連で調べたのは、芝居をはじめ、舞踊、音楽、映画、各種イベントなども調査の対象にした。明治26(1893)年から昭和20(1945)年終戦前の沖縄芸能関連新聞資料集を作り上げた。「切り抜きの大学ノートは30冊にもなった。これが、その後のわたしの貴重な研究資料になっている」と大野さん。
「調べた資料を私蔵しているだけでは、もったいない」と判断。そのコピーを沖縄県立図書館に全4巻、那覇市歴史資料室に全10巻を寄贈した。この資料は今日、沖縄の大学や研究者の間で広く利用されている。
平成2(1990)年、沖縄芸能史研究会に加入。毎月の例会、夏の研究大会に参加し、「明治沖縄演劇の舞台」「戦前沖縄の演劇興行取締令」などの研究成果を発表したことも。
大野さんは平成6(1994)年、心筋梗塞(こうそく)で入院。一命は取り留めたもののひとりでの暮らしは無理と診断され、名古屋に帰ることになった。
地元の琉球新報や沖縄タイムスの求めに応じて各種の沖縄芸能関連記事を連載した。このほか、その両紙のコラムにも積極的に投稿した。新聞などメディアを通じて、沖縄芸能を広めていく姿勢は現在も変わらない。
現在、「命どぅ宝あいちの会」のニュースや愛知沖縄県人会連合会の会報などに随筆を寄せているほか、沖縄県の任命による「ちゅら(美しい)しま沖縄大使」を務める。任期は平成16〜21年までの6年間。
大野さんが出版した本はB5判310ページ。みずほ出版(TEL052・825・2011)の発行で、定価は2940円(税込み)。