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介護などは嫁の仕事と考えていたし、
正直、福祉にも暗いイメージを
持っていたと西垣さん
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中堅建設会社社員から転進
西垣清二郎さん(63)は、中堅建設会社のサラリーマンとして、1994(平成6)年に単身赴任で名古屋へやって来た。2年後、家族を呼び寄せ瀬戸市に移住。しばらくして出会った福祉の世界に魅せられ、現在は名古屋市内でボランティア、ガイドヘルパーとして積極的に活動している。
休職を選択
名古屋での単身赴任生活が1年ほど過ぎた95年1月17日早朝。西垣さんは軽い揺れで目を覚ました。「息子から電話があったが、すぐ切れてしまった。会社に行ったら、えらいことになっていた」。あの阪神淡路大震災の日である。
午後、伊丹市の自宅に向かったが、交通網がマヒしていてかなりの時間を要した。幸い家族は無事だったが、周辺の惨状を目の当たりにして「人間の力はなんて小さいのかと実感した」と言う。
転機が訪れたのは57歳のころ。社内での人員整理が進む中、自ら休職という選択をした。「いろいろな面で行き詰まりを感じていた」。そんな時、名古屋市の講習を通じて、ボランティアの仕事を知った。
福祉は楽しくなければ・・・
「介護などは嫁の仕事だと考えていたし、正直、福祉にも暗いイメージを持っていた。地元から(仕事に)戻ってこいという誘いがあったのも事実」。長年会社員として仕事に打ち込んできたのだから、まだ働けるという思いがあって当然だ。
意欲的で活発
迷う西垣さんの背中を押してくれたのが、現在ボランティアとして活動しているAJU自立の家(名古屋市昭和区)・山田昭義常任理事の「楽しくなければ福祉ではない」という言葉だった。「AJUに来ている人たちは、皆明るいし、ハンデがあるのに意欲的で活発。抱いていたイメージと全く違って、『こんな世界があるのか』と驚いた」と、当時を振り返る。
趣味は登山
96年に運転免許証を、99年に2級ヘルパーの資格を取得し、現在はAJUのほか、手をつなぐ親の会でも活動。名古屋ハンディキャップマラソンでは、運営面の手助けも行っている。
「平凡なサラリーマン生活を送ってきたので、定年まで働いたとしても、すぐにはこうした行動は起こせなかったでしょう。私は(休職という)段階を経て、ソフトランディングしたのが良かったのかもしれない。今はこの選択が間違いではなかったと言い切れます」
趣味は登山。朝の日課は東谷山までのウオーキングだという。「毎朝決まった時間に目が覚める。これはサラリーマン時代からの習性ですね」と、日に焼けた顔に笑顔を浮かべた。