「これからは味噌作りに挑戦したい」という山川さん
●山川建夫さん
 華やかなテレビ業界を辞め、市原市の自然の中で暮らす道を選んだ山川建夫(ゆきお)さん(六〇)。肩書きと収入を捨てて得たものは「自然の一員になった実感」だったという。
 山川さんは元フジテレビアナウンサー。“熱血アナ”として報道の最前線で活躍。仕事に誇りを持っていた。
 しかし「人工的なバーチャルの空間に次第に堪えきれなくなってきた」と悩む日々。それでも安定した収入は捨てられず、我慢の日々が続いていたある時、ついに身体が悲鳴をあげた。十二指腸に穴があいたのだ。「洗面 器が真っ黒になるほどばっさりと髪の毛が抜けてね。この生活を続けたら自分が壊れると思ったよ」
 退社を決意したのは四十歳の時。親戚や同僚からは惜しまれ、変人扱いもされた。しかし一番気がかりだった妻からは「好きにしたら」と心強い言葉をもらった。中古のワンボックスカーを購入し、二歳前の娘と三人で、あてもなく東京を離れた。その日は退職の日であり四十一歳の誕生日でもあった。
 全国を回りながら車内で寝泊りする生活が二年過ぎた頃、山中湖の友人の紹介で、ログハウス造りを手伝うことになる。三軒目の現場が市原市だった。
 屋根に上って一服していると、夕日が落ちる斜面に煙が一筋二筋と立ち上っていた。「人が住んでいるんだなあ」と山川さんは生活感を感じ、妙な懐かしさを覚えた。ちょうどログハウスの様子を見に来ていたオーナーに「この辺に住みたくなりましたよ」と言うと、市内にあるお化け屋敷のように荒廃した古民家を紹介してくれた。
 「ここでやってみよう」と決意し、一人で家を二、三カ月かけて修復。その後家族を山中湖から呼び寄せ、田舎暮らしが始まった。
 それから十六年。竹やぶを開墾してあらゆる農作物を栽培している。五年前からは念願だった米も作り始めた。最初は慣れない農作業に数十分でダウン。
 「都会人に何が出来る」と地元住民から失笑をかったこともあった。それでも諦めずに続け、今では朝から夕方まで根気よく作業が続けられるようになった。最長で九時間も無心で続けたという。
 「最初は田んぼに入ると、カエルやアメンボがサーっと逃げてね。でもいつの間にかみんなが寄ってくるようになったんだ。今では私も見分けがつくまでになったんだよ。『あ、昨日いたトノサマカエルだな』なんて。カエルに声をかける自分が嬉しい。ようやく自然の一員になれたような気がした瞬間でしたね」
 晴耕雨読の日々。現在も自給自足を楽しみながら、テレビの司会やナレーションなどフリーアナウンサーとして活躍。そして全国各地を回り、環境保護についての講演も精力的に行っている。
 「自分の経験を人に伝えることも、自然を守る大切な仕事だと思っています」