「ボールを握ればみんな野球少年です」と語る山本さん。背番号は「3」
 寄る年波にも負けず、60歳以上の「野球少年」たちが日本一を目指している。還暦を過ぎたシニア選手による軟式野球チーム「千葉スターズ」の山本達男代表(78)に活動を聞いた。
 「ここ、集中集中」「あとひとつ」―。東京・大井スポーツセンターのグラウンドにこだまするげき、舞い上がる砂ほこり。7月10日から3日間にわたって行われた「第4回アクアライン還暦軟式野球大会」で、千葉代表の千葉スターズ(監督・市川悦章)は準決勝で横浜港南クラブ(神奈川)に敗れはしたものの、見事3位入賞を果たした。「もちろん優勝は狙っていました。でも、そんなに簡単なものじゃないから」。山本さんは額の汗をぬぐいながら、真剣な表情を見せる。
 平均年齢はおよそ68歳。大正生まれは4人、80代の選手は3人で、最高齢は亘一夫さんの83歳だ。練習は週2回。常時20人前後のメンバーが千葉市若葉区のグラウンドに集まり、約2時間、みっちりと汗を流す。準備体操から始まり、軽いキャッチボール、トスバッティング、フリーバッティング、守備練習と、高校球児と変わらないようなハードな内容。時折、紅白試合を交え、実践感覚を身につける。
 「体調不良や家庭の事情で随時ベストメンバーはそろえられない。それでも毎年60歳の若手が入部してくれるので、ベテランとうまく調和させて、試合を進めています」
目指すは全国制覇
 メンバーは元高校球児や元プロ野球選手、京葉銀行の軟式野球部OBなど34人。“健康づくり”“仲間づくり”“生涯スポーツとして”と、60歳を過ぎて野球を始めた理由はさまざまだが、その多くは野球の楽しさが忘れられない人ばかり。「みんな野球を愛しているんです。ボールを握れば、みんな野球少年に戻ります」
 大正15年生まれの山本さんの青春は、野球と切り離すことができない。市内の関東中学校に進学し、白球を追いかける日々。もちろん目指すは「甲子園」。しかし日本が戦争へと突き進む中、昭和16年から「全国中等学校優勝野球大会」は中止。山本さんの甲子園出場の夢は絶たれた。「その後、神奈川県や茨城県などの関東の学校が集まり、明治神宮野球場で小さな野球大会があったんです。スパイクの靴には金具がなく、底がつるつるで走りにくくて、ボールも一回り小さくなりました。さまざまな障害はあったけれど、野球が出来る幸せは忘れられません」
 卒業後は造船会社に入社し、都市対抗野球で腕を鳴らした。そして22歳の時、「学校の先輩に誘われて」中日ドラゴンズに入団。内野手として活躍するが、別の道を模索し、川崎製鉄に入社。昭和28年、川崎製鉄野球部の創設に携わり、アマチュアの選手として活躍し、監督も務めた。「当時は野球が好きな若い男性ばかり15、6人が集まり、空き地や砂場で野球をしました」と山本さんは当時を思い出し、目を細める。
 定年を迎え、61歳になったある日、友人に誘われて、千葉スターズの前身「千葉OB球友クラブ」に入部。主にショートを任された。「わたしを含め、誰でも最初の1年間はボールに慣れることから始めます。気持ちは10代でも、肩や脚は動きませんから」
 その後、「千葉球友クラブ」のチーム名称変更を経て、平成10年に現在の「千葉スターズ」に。県内12ある還暦軟式野球連盟に加盟し、県内では負け知らず。全国大会3位に4度も輝いた関東を代表する屈指の強豪チームだ。「ミスが少なく、守りが堅いチーム」と対戦相手から評され、「1・2番の足の速さと、3・4番の打撃力も特徴」と山本さんは千葉スターズの魅力を語る。さらに山本さんは古希以上の選手を集めた「古希軟式野球大会」にも参加している。
 9月29日から、第20回還暦軟式野球全国大会が始まり、東京ドームでは入場式も行われる。「やっぱり夢は全国大会優勝!」と意気込む山本さんら千葉スターズナインは、全国330チームの頂点を目指し、今日も練習に励む。