職住一体の野田さん(左)。撮影中も
ヘルパーさん腕をつかんで離さない(笑)
これが元気の秘密か

楽しい余生“一肌脱ぐ” 今年2カ所
 若い世代は希望を失っている。老人が大切にされる世の中にすれば、彼らも前途に希望を見いだせるはず」と、老人福祉事業に乗り出したのは大垣市の野田仙也さん(85)。2004(平成16)年7月に、第1号のショートステイ施設を完成させたことに続き、今年は2つの介護付き老人ホームを立ち上げる。企業経営の第一線からは退き、「今の日本に必要なことは福祉の増進だ」と、新たな人生に意気軒高。自宅より住みやすいからと、自ら施設の空き部屋に転がり込み、寝室兼司令部に仕立てた。そこで施設建設の段取りや、グループ企業の経営相談、証券取引などを次々に電話指令する。同時に、ヨガや散歩、腹筋運動などを日課とし、体力作りにも余念がない。野田さんの健康の秘けつは、「欲を持つこと」だという。「どんな欲でもいいから、それに向かって努力することが大切」と話した。
 野田さんが施設建設を思い立ったのは、資産をあの世までは持っていけないことと、老人が不当に冷遇されているのを見かねてのこと。野田さんによると、日本の戦後復興を成し遂げ、世界有数の繁栄を築いたのは、90歳から79歳までの大正世代。第2次世界大戦でも多くの人が亡くなった。それより下の世代は、蓄財を「食いつぶしただけ」だという。その苦労した世代が、核家族化で独居老人となって安心・安全な生活を脅かされていたり、家族に厄介者扱いされたりする。また、政府は厳しい財政の中で、高齢者に対する保障費増額に神経をとがらしている。そんな現実が野田さんにとっては、“姥捨て山時代の再来”と映った。その政府は「40兆円の税収しかないのに80兆円の予算を組み、1000兆円近い借金を抱えている」と憤る。政府があてにできないなら自分でやる、というのが老人介護参入の理由だ。
 幸い野田さんにはいくばくかの財産があり、子供(1男2女)も独立している。第1号のショートステイ施設では、グループ企業である共立機械建設(社長は長男の妻)の遊休土地を証券化する特定資産流動化法(SPC法)を活用した。不動産を一口50万円の証券に替え、一般に買ってもらう方法で、投資家には施設利用料が配当となり、建設当事者にとっては資金負担が少なくて済む。588口を発行し完売したため、合計2億9400万円で延べ床面積1365平方m、定員40人の施設を完成させた。各室、洗面・トイレ・ロッカー付きの豪華なものだ。介護保険1割負担額と食事代(朝・昼・晩で1200円)で、短期宿泊も可能。個室代は800円。「私も食べるので、まずいものは提供しない」と、米は高級玄米をポケットマネーで購入し、その都度精米して炊くという気の使いよう。
 野田さんの一生は波乱に満ちたものだった。旧陸軍士官学校を4度目にして合格したものの、健康診断日に風邪を引いてアウト。やむなく中国東北部(旧満州)の軍学校に入学・卒業して、各地を転戦した。
 終戦は情報将校として、南太平洋ニューブリテン島ラバウルで迎えた。翌年帰国すると、運輸業、砂利採取業の経営に参加。折からの復興ブームでたちまち財を成し、59年に共立機械建設を設立する。さらに、自動車時代の到来を見越して68年には滋賀県に自動車学校を、74年には岐阜県西部の関ヶ原に18ホールのゴルフ場を建設するなどして多角化し、グループ会社は13に拡大した。情報将校時代に培ったせいか、時代の先を見る目は確かである。
 その後、グループ企業は後進に譲ったり、持ち株を売却するなどして縮小し、現在の肩書は施設を運営する万有商事の会長のみ。「施設利用者と同じものを食べ、同じ部屋に住んでいるからこそ、利用者サイドの気持ちが本当に理解できる」と、自らの生活を経営に生かす一方で、若いヘルパーに囲まれた生活にご満悦でもある。
 野田さんにとっての“欲”とは、「日本の行く末を確認する」こと。そのためにも90歳までは生きたいと願い、1日50分のヨガと1時間半の散歩、2分の腹筋トレーニングは欠かさない。なんとも元気な85歳だ。