写真↑自分のスポーツ人生などを熱く語る、県トライアスロン協会理事長の植田義継さん

「トライアスロンは新しいスポーツで現在進行形。オリンピックで金メダルを取るまでは見守り続けます」と県トライアスロン協会理事長の植田義継さん(六三・潮来市辻)。十八年前に県内で初めて同協会を設立した、いわば“県内トライアスロンの生みの親”的存在だ。植田さんが自身のスポーツ人生や出会い、人生訓などについて語った。

 植田さんが最初に熱中したスポーツは野球。高校までは野球にどっぷりとつかり、名門早稲田実業に進学した。三年のとき、王貞治福岡ダイエー・ホークス現監督らと選抜甲子園大会に出場を果 たすなど活躍した。当時、王氏はピッチャーで植田さんはキャッチャー。「王ちゃんは野球もすごかったけど、頭もよかったなあ」。練習に明け暮れた日々を思い出しながらしみじみと振り返る。
 野球選手としての自分の将来に不安を感じた植田さんは、大学では陸上(長距離)の道を選んだ。大学時代、ベルリンオリンピック陸上で入賞経験のある故村社講平さんに出会い、師事。「村社さんからは走る技術のほか、努力することの大切さを学んだ」。その後、住友金属の陸上競技団に入り、四十代まで現役を通 した。
 そしてトライアスロン。住友金属で陸上の指導者をしていたころ、教え子が故障した。そのリハビリのため、水泳や自転車を勧めたのがきっかけ。「リハビリのために始めたことだが、(水泳、自転車、陸上の)三つを合わせれば自然とトライアスロンになった」。それからはトライアスロンが“本業”に。同競技の県協会を設立したほか、全国組織の日本トライアスロン連合でもシドニーオリンピックまで普及委員長を務めるなど同競技とかかわり続けている。
 植田さんはスポーツの意義についてこう話す。「戦後、物質文明が栄える一方、心が滅んできたように感じる。そういう社会を修正する役割がスポーツなどの文化だと思う」。
 植田さんは歴史とも縁が深い。姓は植田に変わったが戦国時代の武将、筒井順慶の直系子孫。筒井順慶は、有利な方につこうと形勢を見ることを意味する「洞ヶ峠をきめる」という故事のもとになった武将だ。「いい意味で使われることのない故事なので、あまりうれしくないのですが…」と植田さんは笑う。また幼少時は、豊臣秀吉の弟、秀長の菩提寺としても有名な春岳院(奈良県大和郡山市)で育った。植田家が代々、春岳院の僧りょを務めていたためだ。
 「いつか来た道、いつか行く道」。植田さんの人生訓だ。「若者に対してはいつか自分も通 ってきた道、お年寄りには自分がこれから通る道と考えて暖かい気持ちで接したい」。子供のころ寺で育った影響もあってか、人を見るその目は優しい。健康の秘けつは「週に二日は家の近くを十キロ走る」というランニング。