悠々自適。機織りを楽しむ坂倉俊子さん=鈴鹿市白子本町の自宅で
 人形作りや機織りの指導をし、広い自宅の庭でバラを栽培する。誘われればどこへでも気軽に出掛けるが、家事も手を抜かない。鈴鹿市白子本町の工芸家坂倉俊子さん(91)は、聡明(そうめい)活発で、好奇心旺盛な少女のような人だ。
6月中旬の日曜日に奈良県の最南端までホタルを見に出掛け、深夜に帰宅した。火、水曜日は伊賀へ泊まりがけでホタル狩り。91歳の誕生日の土曜日は、磯部町の百合園へお祝いドライブ。このハードな週の翌日曜日に取材に応じてもらった。
できることは何でも
 百合園散策の際、長男の医師・康夫さん(69)の勧めで、車いすに乗った。20年来坂倉さんに師事して、独り暮らしの自宅へも始終出入りしている女性は「先生は自立心の強い方で、身の回りのことは全部自分でなさいます。ほかの人が勧めても決して車いすを使われるような方ではありません」と言う。
 5年前、交通事故に遭い、骨盤骨折で70日間絶対安静の大けがをした。だが、懸命のリハビリで、つえ無しでも歩けるまでに回復した。さすがに、かかとのある靴は履かなくなったが、「寝たきり」を予想した人たちを驚かせた。これを契機に数十年間の喫煙をすっぱり絶ち、意志の強さを見せた。
 30年ほど前、息子の年代の男性陶芸家3人と1台の車で、韓国の窯場巡りに出掛けた。茶髪で華やかな服装でたばこをふかす坂倉さんは、行く先々で好奇の目にさらされた。だが、現地で初対面の人から人探しを頼まれ、帰国後労を惜しまず奔走した。人情味豊かで世話好きな一面を示すエピソードだ。
 終戦直後、シベリアに抑留されていたご主人が病気のため早期送還されることになった。連絡を受けて、喜んではしゃぎ回ったら、周囲から「はしたない」と、たしなめられた。
 当時、女性は人前であからさまな感情表現をしないものとされていたが、坂倉さんは我慢できなかった。芸術家の資質として不可欠な内面表出の衝動は、天性のものだった。
 茶道、華道、能楽などは子どものころから習い親しんだ。本を見て我流で人形作りを楽しんでいたが、結婚後友人に誘われて木目込み人形を習い、桐塑人形へ進んだ。名古屋の師匠の勧めで日展へ出品、初入選したのが約40年前。日展の工芸部門での入選は県内初の快挙だった。
 工芸界は当時も現在も、伝統技術を発展させて地場産業化を指向する「伝統派」と、新しい感覚で芸術創造を図る「現代派」の対立がある。その中で、坂倉さんの「母と子」と題する作品は、児童画的感覚で、伝統技法を超えた斬新なものだった。
 その後日展と現代工芸展に2、3度ずつ出品したが、派閥争いのとばっちりで、結社や公募展から離れた。津と四日市の教室で人形の指導をし、塾展を20回開いて、10年前に表立った活動を終えた。
 現在は自由気ままに、今も出入りする教え子らとともに、機織りや布を使った作品づくりを楽しむ。
 「生きとるのも、しんどいね」と言いながら、どん欲な好奇心を隠さない。「周囲が世話を焼きすぎるからボケる。できることは何でもやらなきゃ」