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宮城・栗駒町から上京しておよそ五十年。現在、「お年寄りのメッカ」といわれる東京・巣鴨のとげぬ
き地蔵通り商店街の一角に事務所を構える行政書士の山内常男さん(六四)=東京都板橋区=。山内さんは本業の行政書士として活躍しているほか、宮城県人としての顔もある。ボランティアで宮城の食材をPRする「食材王国みやぎ大使」や東京宮城県人会連合会の常任理事を務めるなど故郷ともいまだに深い縁で結ばれている。「故郷の自然の素朴さが私のルーツ」という山内さんが自らの軌跡やふるさと宮城への思いなど語った。
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| 「故郷に恩返ししたい」と語る行政書士の山内常男さん |
30代で独立目指す
山内さんが「三十代までには独立して自分の城を持つ」と青雲の志を立てて故郷栗駒町を後にしたのは昭和三十二年、十九歳のときだった。当時は就職難の時代で神奈川県川崎市の鉄工所にようやくプレス工の仕事を見つけ職に就いた。しかし体を酷使したため椎間板ヘルニアを患い、約一年もの闘病生活へ。その後、元の職に復職したが、技術職は自分に向いていないと見切りをつけ退職した。
それからは自分に合った職業を見つけようと転職を繰り返した。学習塾助手、輸入品セールス、スーパー店長、立ち食いうどん販売…。約二十年で三十種余りの職業を経験した。三十七歳のとき、「人にアドバイスする仕事に就きたい」と思い立ち、行政書士を目指す。「年齢も年齢なのでとにかく必死に勉強しました」と山内さんは振り返る。念願の独立開業を果
たしたのは三十代ぎりぎりの三十九歳だった。
度重なる病気
行政書士として独立してからは仕事面では順風満帆だった。数々の職歴が強みになり、順調に顧客を確得。今では東京都行政書士会の広報部長を務めるまでになった。
しかし、仕事と反比例するように、病気が度重なっていった。平成八年、C型肝炎発症。その年山内さんは難病認定を受けた。インターフェロン治療の末、症状が落ち着いたと思ったら、今度は肝硬変、肝細胞がんと相次いで病魔に襲われる。しかし山内さんはめげなかった。自らのホームページで「どんとこい! 肝硬変!」と題して告白し、治療過程を日記にして公表した。「病気だからとくよくよせずに開き直ったほうが明るくなれた。そうすると不思議なことに免疫力が高まった」と仕事選び同様、病気に対しても常に前向き。
故郷宮城へ恩返し
山内さんはボランティア活動にも積極的だ。今年、県から依頼され、ササニシキなどの宮城の食材をいろんな場所でPRする「食材王国みやぎ大使」に就任した。
また、五年前から故郷栗駒町の母校、栗駒中学校から職場訪問として生徒を受け入れている。「郷土から良い人材を育てたい」という思いがあるからだ。今年は十二人の生徒が事務所を訪れ、仕事や人生などについて質問していったという。「私を育ててくれた故郷に恩返しをしたい。そのためにはできることはなんでもするつもり」と目を細める。職場訪問後、生徒たちから届くお礼や感想の手紙が楽しみだという。
山内さんの事務所には、故郷の栗駒山系の精巧な模型が飾ってある。ふるさとへの感謝の気持ちを忘れたくないと、約二十年前に山内さんが故郷の写
真を見ながら紙粘土で一生懸命作ったものだ。毎日仕事の合間に模型を眺める。そうすると「優しい気持ちになれる」という。
山内さんのホームページはhttp://www.yamauchi-jimusyo.com/ |
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