浅野史郎宮城県知事は県内のすべての知的障害者施設を解体し、障害者には地域の中で暮らすように勧める「みやぎ知的障害者施設解体宣言」を2月21日、滋賀県大津市で宣言した。
 ごく普通の暮らしがある。平日は職場に行き、休日はくつろぐ。おいしいものを食べ、ショッピングを楽しみ、おしゃれもしてみる。
 知的障害者入所施設にいる人にはそれがない。入ったきり生涯を終える人も多い。
 「これで幸せと言えるか。知的な障害を持った人にも普通の生活を送る権利がある。それをしてもらうんですよ」
 浅野史郎宮城県知事は県内のすべての知的障害者施設を解体し、障害者には地域の中で暮らすように勧める「みやぎ知的障害者施設解体宣言」を2月21日、滋賀県大津市で宣言した。
 首長や国会議員たちが障害者福祉の課題を話し合う「アメニティフォーラムinしが」の席上である。障害のある人もない人も共に地域で暮らすノーマライゼーションの理念を都道府県レベルでは全国に先駆けて実践に移す。
 施設を出た障害者は民家やアパートで世話人の手助けを得ながら、グループで生活する(グループホーム)。そして就労可能な職場へ行く。入所施設整備中心の行政からの一大転換ではあるが、実態は2年前の11月から始まっている。
 「船形コロニー」の解体である。県福祉事業団が運営する同コロニーは、特に重いハンディを負った障害者たちの施設であるが、2010年までには施設を解体、500人ほどの入所者全員を地域のグループホームなどに移す。既に昨年度70人近くの入所者が退所した。また、県内には127のグループホームもある。
 事実の追認、今さらなぜ声高に宣言するのかなどとの指摘もあるが、浅野にしてみたら、そこに意味がある。施設解体という進むべき方向を明文化したことで、障害者の親や入所施設関係者、それに福祉行政に携わる人たちの意識に重要な変革を迫ることができる。県下には28カ所の入所施設があり、1800人が生活する。
 解体はいつまでに、と具体的には示していない。知的障害者が地域の中で、生活できる条件を時間をかけて整備する。
 「世の中は自然に変わっていくもんじゃない。何かをしなければ今までどおりだ」
 浅野が投じた一石は、障害者の親やその子供たちを受け入れている施設の現場に大きな驚きと波紋を広げつつある。
 解体に異議を唱える親たちの大多数はこう言う。「しっかりとした施設に預けているから安心なのだ。グループホームは本当に頼りになるのか。親亡き後の面倒まで見てくれるのか」
 一方、施設側は長年蓄えてきた介護のノウハウで障害者の親たちに“安心”を与えてきた。入所者の老いを支えながら、日々の現場をやり繰りしている。宣言は自分たちのこれまでに疑問符を打つ。県下の入所施設の大半を占める民間施設は、宣言は自分たちの施設の解体と職員には職場の閉鎖を意味する。
 宣言文の中で浅野は「宣言の背景には、これまでの障害者福祉施策への真剣な反省がある」と書いてある。障害者のためにやるべきことに、本人たちの意志がすっぽりと抜け落ちている。施策は親、施設、行政の三角構造から生まれ、入所施設の拡充の方向で進んできた。
 施設からグループホームへの流れは宣言によって一層加速する。退所への入所者たちの意志はどうなのか。「プライバシーがない」とされる施設の8人部屋にも改善の動きが見られる。しかし、既にグループホームへ移った彼らの中で施設へ戻りたいという障害者はほとんどいない。
 「8人部屋が4人部屋になったからという問題じゃない。施設では右を向いても左を見ても同じような境遇の人ばかり。一度地域の中で暮らせばこっちがいいと思うのは常識的でしょう」
 厚生省の役人だった昭和60年、出向先の北海道庁の障害福祉担当の課長となったのが知的障害者とのかかわりの始まり。そこで見た知的障害者の実情に彼はがくぜんとした。
 広い北海道では障害者は小学校の時から、養護学校の寮に入り、中学を卒業すると施設に入所する。親が施設を探すのは簡単ではないが、入所できたらひと安心。親の役目を果たせたと思う。子供はそれから何十年間を施設の中で送る。
 「彼らの多くはノーマルライフを一度も知らずに生涯を終える。そんな人生を送らせるための手助けをわたしは役人としてしていた」
 役人を辞し、県知事となった彼は知的障害者政策を政治家・浅野のライフワークの一つとして掲げる。
 いよいよその実践の時。解体宣言という進軍ラッパを高らかに吹いたが、問題は山積みしている。今年度11カ所増やすグループホームを一つ作るにしても、近所の住人から「ああいう人たちは怖い」という声が漏れる。
 知的障害者が地域に解け込むまでに先行した伊達市でも30年かかった。宮城全域となれば、比較にならないほど器が大きくなる。
 「50年、100年かかってもやり遂げなきゃならない。でもね、年老いた障害者が、『冗談じゃない、生きてるうちにやってくれ』と言うなら、わたしもそう言いたい」。真顔で言った。