「タケノコが生えている。でも、仙台なら生えているんじゃなくて、おがっている。ですから、天花のおじいちゃんの信一郎(財津一郎)のこのせりふはタケノコがおがっていると変えてもらいました」
出演者ごとのせりふを仙台の言葉に言い直し、テープに吹き込んで、ドラマの収録時それぞれに渡す。一般にアクセントが平版でどの地方の言葉もいっしょくたんに「東北弁」で片付けられがちだが、それは外からみてのこと。お国なまりはさまざまだ。
なまりは話す人の情感をよく伝える。
一心配するな。
のせりふは
一すんぺ、すんな、
と「仙台弁」の持つアクセントの濃淡にも気を使って吹き込む。おばあちゃんが、自分を指すせりふなら「ワタシ」ではない。女性でも「オレ」か「オラ」だ。
テープでなまりを出演者にレッスン
大友自身も新劇の俳優。一迫町の実家から築館女子高へ通った後、2年ほど地元で勤めたが、20歳のとき、演劇を志して上京。長年の舞台歴を持つ。「女太閣記」「腕におぼえあり」などのNHKドラマにも出ている。今回ドラマの配役はないが、陰の出演者として、せりふに賭ける気持ちは舞台と変わらない。自分が吹き込んだせりふで、出演者たちが「仙台弁」の色合いをどこまでくみ取ってくれるのか、役者としての力量が問われるところでもある。
だから、納得いかなければ、何度もテープを巻き戻す。娘が結婚して独りとなった神奈川県藤沢市の自宅で、台本とにらめっこしながら、夜が白み始めることも。
「でも、財津さんをはじめ、天花のお父さん(香川照之)お母さん(片平なぎさ)、皆さん勘がいい。初めは仙台弁に戸惑っていたんですが、このごろはテープなしでやることもあります」
仙台やその近くで使われている方言をどのくらい劇中に採り入れるか、そこも難しい。基準は見ている人がその言葉から標準語を大体連想できること。カエルの「ビッキ」これは可。不可はいくつかあったが、最も悔しかったのが「いずい」。
「いずい、ってどういうこと。そう言われて分かってもらおうとお話しするんですが、これが本当に説明に困る」
例え話をしてみる。
「下ろしたての靴がいずい。つまり、それでね、この場合は、ややサイズが合わない、具合が良くない、とでも言ったらいいのか。そんな感覚で…」
言葉を重ねるほどに「いずい」の実感から離れてゆく。思わず「ちょっと違うんだけどね」と口走る。やはり、いずいはいずい、としか言いようがない。
その「いずい」がいとおしい。いつまでも故郷の人たちの中で生き生きとしていてほしい。
「めんこい」「おしょすい」(恥ずかしい)は初めから台本にあった。ドラマの作者竹山洋が仙台に来た折、目ざとく覚えていったらしい。さすが、竹山先生と褒めてあげた。
テレビ画面から仙台の土の臭いがしてくるような、そんなせりふでドラマが進めばいいと思う。
ヒロインの天花が方言を喋らない、という声をよく聞く。天花役の藤澤恵麻が話せないのではなく、ドラマの設定でそうしている。
実際、仙台ロケの際に聞いた若者たちの言葉には、あの語尾の下がりが消えている。よそで話すとき、少し恥ずかしく意識して飲み込んだ「一ちゃ」「一だべ」が同年の会話にさえぶら下がっていない。
本当にそうか、家では違うのでは、と郷里の友人に電話で尋ねてみると、「うちの息子や娘は家族と話すときもあまりなまらないわね」という返事がほとんどだった。
天花を含めたドラマの中の仙台の若者たちは、これからも今まで通りに話す。
そういえば、仙台の駅頭は、ビルの林立といい、看板の派手さといい、雑踏さかげんも渋谷の風景と見まごうばかりだ。
ドラマの制作の始まりのころだった。石巻ロケに同行し、空いた時間でスタッフと方言を採集しよう、ということになった。「実は今度の連続テレビ小説の方言指導をしているんですが、少しお話を」と録音機を手に話の水を向けても、まるでよそよそしい。がっかりして、喫茶店で休んでいたら地元の年配の女性数人が入ってきた。席に着くなり、夫のこと姑のことなどを土地の言葉であけすけに喋り始めた。
「いや、その躍動感っていったら。人は育てられた言葉で話すとき、一番豊かに表現できるんでしょうね」
一迫の母が他界して、ここしばらくは足が遠のいていた故郷が「この仕事を引き受けてから、また近くなりました」
と、素直に喜んでいる。