8年前、登米町が2万坪の敷地に能舞台を造った。「森舞台」だ。高名な東京の建築家に設計を依頼し、建築学会賞を受賞した舞台が使われるのは太郎丸晃(61)ら「登米謡曲会」の年2回の上演のときだけだ。
 今月5日に上演された「新緑薪能」も盛況だった。600席はほぼ埋まり、立ち見も出た。近年の静かな能ブームの波は、小さな町のアマチュア能楽師たちの舞台にも押し寄せている。
 太郎丸はこの日、ふたつの演目のひとつ「竹生島」の船頭を演じた。2人のシテ(主役)の1人である。湖の小島の神社に参詣したいという大尽を船で案内する役だが、中入り後、実は船頭は湖の龍神であるという設定。能ならではの幻想的な物語へと展開していく。
 船頭役は初めて。「まずまずの出来。だいたい手順を間違えずにやれたから。わたしら、素人は型通りにできたかできないか、それで目いっぱい」
 能といえば「幽玄の世界」という言葉が付いて回る。観客にそう感じてもらえたらありがたいが、正直なところ幽玄どころではない。
 「本当はね、お祭りのお神楽でも見るつもりで来てもらうと、気が楽なんですが」

 舞台ができるまでは町内の八幡神社の秋祭り(9月)で上演するだけだった。境内の急ごしらえの舞台で、近所の50、60人を前にやっと当日に間に合わせた演目を見てもらっていた。
 当時の笑い話がある。演じ終えた太郎丸が、楽屋に戻ったときのことだ。「終わったぞー」と思い切り背伸びをしながら、叫んだ一言が境内に鳴り響いた。その年、町からやっと買ってもらったワイヤレスマイクを外すのを忘れていたのだ。境内に笑いが渦巻き、自分でも恥ずかしいやら、おかしいのやら。
 のどかな時代だった。
 それが「やはり、森舞台ができて少し様子が変わったのかな」
 と振り返る。
 この日の「薪能」で観客は2500円を支払って客席に着いた。森舞台で演じるようになってから同謡曲会の舞台は有料となった。施設を維持していく費用の一部だが、有料化は会員たちに微妙な心の変化を与えた。
 「ドタバタ劇じゃ済まされない」
 この間、県の無形文化財にも指定された。登米町の「顔」のひとつともなった。
 「そうしたことが会員の励みになっている。でも、肩の荷が重いと感じるのも確か」
 年数回、町まで来てくれるプロの能楽師に謡と仕舞のけいこを受けている。
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 町のつじから謡が漏れてくる土地柄だった。結婚式の祝い唄は「長持唄」ではなく謡曲「高砂」が恒例だ。
 明治の初めから町に伝わる大蔵流の能は、能上演が盛んだった仙台藩伊達家が金春(こんぱる)流を独自に作り変えたもの。廃藩置県の際に一時途絶えたが、登米町で復活した。武士の身分を追われ、農民となった町の若者の風紀の乱れを正そうと、大人たちが礼儀作法に厳しい能を若者たちにたたき込んだのが、登米で大蔵流が根付いた理由だ。
 以来、戦争の時代などを除いて連綿と受け継がれてきた。
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 太郎丸が同謡曲会に入会したのは30年ほど前のこと。昨年まで教壇に立っていた米谷工業高校の当時の先輩教師に強引に誘われ、初めは謡を。シテを務めるようになったのはこの10年くらいだが、難しい。特に舞が。能の場合、ゆっくりと舞うので、ごまかしが利かない。上手下手が目につく。プロとの巧拙は明らかだが、役になりきるのが上手への近道と思っている。
 昨年、同会の開いた研修会が縁で隣町から2人の若者が役者をしたいと、入会してきた。いま盛んに仕込んでいるが、シテは登米の男が演じるのが習わしとなっている。地元からの跡継ぎを願っているが、観客に登米の人が少ないのも実情だ。
 「舞台で薙刀(なぎなた)を振るうとこのごろ息が切れましてね。伝えるところは伝えたいと、少し焦っています」
 能はミュージカル。歌って踊って演技して。みんなでひとつの劇を作り上げるのは大変だが、楽しい。
 太郎丸家は、何代か前にさかのぼれば城下町登米の領主家の家老だった。
〓敬称略〓