懸命にマークにつく
長竹さん-写真右-

 「たった一つのボールでみんなと友達になれる。考えてみれば、この年になってすごいことだよ」。六十歳以上の中高年の人が所属する「埼玉 シニア60」は県内のメンバーで構成するシニアのサッカーチーム。現在、最高齢八十四歳の人から六十歳の人まで合計八十四名が所属している。「サッカーざんまいの毎日で忙しくてしょうがない」埼玉 県シニアサッカー連盟60雀担当で兼選手の貫井進さん(六二)は笑いながら話す。

 昨年二月、Gリーグ(通 称ジジイリーグ)というリーグ戦が開幕した。このリーグは中高年の人がサッカーを通 じて健康増進と親善を図ろうと、サッカー解説者のセルジオ越後氏と元日本代表の八重樫茂生氏が世話役となって発足した高齢者のサッカーリーグ。参加チームは埼玉 シニア60を含む十チームで毎回、交流試合を行なっている。今年度も七月現在で二十一試合行い、十一勝三敗七分けと埼玉 シニア60は抜群の成績だ。試合の際は静岡や福島など県外まで遠征する。「全く知らなかった人と一緒に寝たり、生活するのは楽しい」。貫井さんは話す。
 健康は全て選手個人の自己管理に任せている。二十分ハーフの試合中も手を上げて自己申告すれば途中交代はできる。しかし、少しでもグラウンドの上に立っていたいのでつい無理をしてしまうとか。また、体が動かなくてチームメイトに迷惑掛けたくないので、普段からウォーキングなど体を鍛えているメンバーも多い。こうした一人一人、日常から健康への気配りがメンバーの若さの秘けつとなっている。現在の最高年齢得点記録は平成十三年十月に記録した同チーム、原田宏さん=写 真=の八十三歳。現在、チームではこの記録が全ての選手の目標となっているそうだ。
県内各地からたくさんの人が所属する同チーム。背番号は八十番から年齢順で着けている。ゴールキーパーが一番を着けるので、実際は二番の選手が最も若い。普通 、サッカーではレギュラー選手が若い背番号を着ける。しかし全く逆。埼玉 シニア60では大きな背番号を着ける事こそ、元気でプレーできている大きな勲章だ。試合で着用するユニホームのパンツにも、おもしろい工夫がある。六十歳は赤、七〇歳はシルバー、八十歳はゴールド、八十五歳は紫と年代ごとに色分けがされているのだ。「次の色を目標にしてみんな幾つになっても健康でプレーできるようにと、頑張っている。でもそろそろ九十歳のパンツの色も考えないと」。Gリーグ監督の青木誠さん(六六)は笑いながら話す。
 埼玉シニア60の選手の一人で現在、埼玉県シニアサッカー連盟副会長を務める長竹義廣さん(七三)は元々、東京・板橋育ち。学生時代は天皇杯全日本選手権で優勝したオール慶応チームのDFとして活躍した選手の一人だ。都内の大手電気メーカーに勤務していたサラリーマン時代は、地域との交流がほとんどなかったという。結婚して三十八年前に住居を移したのが現在のさいたま市。定年をむかえ、地元でもボールを蹴りたいと平成六年に埼玉 シニアに入った。チームで活動するようになって十年、地域との交流や人間関係がとても広がったという。「定年後に友人を作るのは本当に大変な事。ものすごい努力とパワーがいるのだよ」寂しそうな表情で話す長竹さん。「しかし今はこの年になってみんなと楽しくサッカーができる。本当に生きがいを強く感じる。絶対に続けたい…、死ぬ までやりたいね」。長竹さんはサッカーできる喜びを体一杯に感じ、笑顔で話す。
 チームの今一番の悩みは県内で試合できる芝生のサッカーグラウンドが少ないこと。現在も、深谷市の一企業のグラウンドを借りて試合を行なっている。「高齢者が安心してスポーツできる多目的広場が県内にもっとあってほしい」埼玉 県シニアサッカー連盟会長で、自身も埼玉シニア60でプレーする小川時雄さん(七二)は声を大にして話す。
 取材をしたこの日はチームが活動の一環として行なっている、地元Jリーグ浦和レッズ主催のサッカースクールへの参加の日。駒場スタジアム隣りのグラウンドで、元浦和レッズの選手と共に約四十人の小学生にサッカーを教えている。照りつく太陽の下、小学生と無邪気にボールを追いかけるシニアのメンバー達。「ずっとみんなと一緒にボールを蹴り続けていたいね」。誇張も装色もないメンバー達の素直な言葉はいつまでもグラウンドに響き渡っていた。