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現在、独身。
「走りに夢中になってついつい」
と笑顔の小島さん
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死ぬまで走り続けたい−。フルマラソン完走回数で日本記録を持つ岩槻市鹿室の小島義一さん(62)が、昨年12月の「第20回NAHAマラソン」で目標だった完走回数1000回を記録した。前人未到の大記録達成にも、小島さんは力強く「まだまだ通過点」。寄る年波にも負けず、気力と体力の続く限りスタートラインに立ち続ける。
「さすがにプレッシャーを感じていたみたいで。沖縄に季節外れの台風も来ていたし、前日は心配でなかなか寝付けなかったですよ」。昨年12月5日、沖縄県那覇市。地元メディアや多くの沿道の人に注目される中、“ゼッケン1000番”の小島さんは5時間31分48秒で1000回目のゴールテープを切った。
岩槻市鹿室生まれ。25歳で地元の自動車部品会社へ就職し、社内のマラソン大会に出場したことが走りの原点。35歳で結婚。5年後の40歳の時に離婚を経験した。「このままの人生でいいのか」。すっかり憔悴(しょうすい)し、つらい思いをぬぐい去れないある日、テレビのマラソン中継を見て、「これだ」と思い立った。
初マラソンは21年前の昭和58年2月、20歳で参加した茨城県の「勝田全国マラソン大会」。タイムは3時間23分46秒。「無我夢中」の42,195kmだった。数を意識したのは50回目を過ぎてから。「タイムでは五輪選手にかなわない。回数で」と心に決めて走り続け、7年1カ月かけて完走100回を記録。さらに2年11カ月後の平成5年に200回完走を達成した。このころ当時の日本記録保持者で、ヘルシンキ五輪マラソン日本代表・山田敬蔵氏の記録を抜いたのも回数に拍車を掛けた。
初マラソンから15年8カ月で500回に到達。それ以降ますますペースは上がる。わずか11カ月後の平成11年9月に600回、翌年9月には700回と驚異的に回数を延ばし、500回から6年2カ月で完走1000回を達成した。4,5日連続フルマラソンも珍しくなく、55歳の時には年間完走回数112回にまで及んだ。
大会に参加するための交通費、宿泊費、参加費などは普段の生活費を切り詰めて工面。「トータルだと中古マンションが楽に買える額」と小島さんは苦笑いする。人と話をするのが苦手で「おとなしい性格」と自己分析するが、「マラソンが人生を大きく変えた」ときっぱり。
今や走ることは記録更新のためだけではない。昨年6月に新潟県川口町の「田麦山ロードレース」にゲストランナーで参加した時のこと。ゴールで小島さんを待ち受けていたのは地元、田麦山小学校全校児童51人の温かい拍手。その時、一人一人の激励メッセージが書きつづられた色紙を手渡された。今、その町が中越地震の被害で苦しんでいる。「前回はわたしが走る勇気をもらった。今度はわたしが走ることでいつかみんなに恩返しする番」
2年前に定年を迎えてからも、自己研さんを忘れない。毎週40〜50kmの練習と筋肉トレーニングを続け、引き締まった体をなおも鍛え抜く。脂物を控え、野菜や牛乳を多く取るなど、徹底した食事管理も無尽蔵のスタミナをつくり上げる。
今、“鉄人”の視線は次の目標をとらえている。69歳のドイツ人男性ホルスト・プライスラー氏が持つ1270余回のマラソン完走世界記録に追いつき追い越すこと。「細く長くマラソンを続け、必ず追いつきたい。なぜ走るかって。夢があるから」。世界一をつかむまで158cmの小柄な体は走り続ける。
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