|
|
「芝生作りに終わりはない。定年の60歳を過ぎても芝生作りに携わっていきたい」と話す輪嶋さん |
国内最大のサッカー専用グラウンド「埼玉スタジアム2002」でグラウンドキーパーを務める新座市本多の輪嶋正隆さん(50)。現在も朝8時にスタジアムへ足を運び、手塩に掛けて育てた芝生に厳しい視線を注ぐ。芝生管理に携わって25年、ワールドカップをはじめ数々の試合を舞台裏で支えてきた。「選手が精一杯プレーできる環境を提供するのがわたしの仕事」。純粋な思いは今も変わらない。
日韓ワールドカップを目前に控えた2001(平成13)年11月、日本代表とイタリア代表との強化試合。試合後、イタリア代表の選手は吐き捨てるように酷評したという。「これが本当に半年後ワールドカップを開催するグラウンドなのか」─。グラウンドは見るも無残な姿だった。試合中、選手がターンやジャンプをするたびに芝生がはがれ、グラウンドには大小無数の穴。芝生の上に黒い斑点ができたようにグラウンドのあちこちから土が露出していた。
「ある程度不安はあったことなんです」。みけんにしわを寄せ、輪嶋さんは振り返る。原因は8カ月前の01年3月に種をまいたばかりで芝が幼く、根がきちんと根付いていなかったこと。少なくともあと半年前に種をまいて1年間の養生が必要だった。だがスタジアムの日程上、「春の時期にしか種がまけない」。苦渋の決断だった。
学生時代は園芸を専攻。(財)埼玉県公園緑地協会に就職してからは、吉見町や熊谷市などの県営ゴルフ場で芝生管理に従事した。さいたま市大宮公園サッカー場の芝生管理に携わっていたことが縁で01年、埼玉スタジアム2002の開業とともに現職へ。芝生にかかわって今年で4半世紀を迎えた。
長年のキャリアを誇る輪嶋さんでも初めての場所で芝生を育てるのは苦労の連続だった。「芝生管理はやってみて初めて分かることだらけ。今までと同じ技術を施しても芝生が育たない時がある」
夏は高温多湿、冬は寒冷というスタジアム周辺地域特有の内陸性気候も一層、芝生の管理を難しくさせた。特にスタジアムの両翼を大きく覆う屋根は日照を防ぎ、芝生に大きな影響を及ぼした。「思った通りに芝生が育たない」。刻一刻と迫り来る日韓ワールドカップの舞台。「悔しい。必ずワールドカップ本番までには立派な芝生を作り上げる」。スタッフとの懸命な作業が続いた。
ようやく計画通りに芝生が順調に育ち始めた矢先の日本対イタリア戦。試合後は各紙がこぞって芝生を批判した。「それがとてもやるせなかった」。輪嶋さんは唇をかむ。「6月の本番を見据えて順調に育っていた段階なのに、マスコミの人たちはあくまで芝生の完成型を求めている。芝生作りはどうしても長い時間が必要。順調に育っている真実が伝わらないのが悔しかった」。芝生が枯れている夢にうなされて、真夜中にふと目が覚めたこともあった。体重も5キロ減った。プレッシャーと戦いながらも、「あの悔しい経験が血となり肉となって必ず今に生かされていると思います」。
地道な苦労は実を結び2002年のワールドカップは無事に成功。昨年は年間を通じて常緑の芝生を維持したことがJリーグから認められ、「ベストピッチ賞」を受賞した。そして今月からはいよいよJリーグの闘いも始まった。
「選手たちがけがを恐れずに最高のプレーができる舞台を提供したい。忙しくなるけどやりがいはあります」。緑鮮やかな芝生の上に、輪嶋さんの満面の笑みがこぼれた。
|