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「老いの生き方を多くの若い世代にも見て欲しい」と語る市原さん
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棄老伝説を基に書かれた小説「蕨野行」が映画化された。貧困と飢えから子孫を守るため山奥に移り住み、死を迎える老いの姿、生きざまを描いた作品で、ロケ地となった山形県では先行上映され、大きな反響を呼び、東京でも公開されている。その作品の狙い、撮影の労苦を主演の市原悦子さん、恩地日出夫監督に語ってもらった
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「美しくて、強くて、優しい。主人公レンは私の憧れの女性なの」と丁寧にゆっくりとした口調で語る。
家政婦、刑事、弁護士、交渉人…。少し癖のある女性をひょうひょうとした風貌で演じる市原悦子さん。その存在感は、見る者をひきつける。
そんな市原さんが、「生涯で十本の指に入る作品」と情熱を注いだ映画『蕨野行 わらびのこう』では、死を目前にしながらもたくましく生きる庄屋の姑・レンを演じる。六十歳を過ぎた七人の仲間との集団生活。蕨野では身分は平等だ。
「一種のユートピアなのよ。“機械漬け、薬漬け、孤独な死”という現代の老人よりも、自らの意思で蕨野に行き、生をまっとうする。とても崇高で美しい。仲間同士、手を取り合って死んでいけたら、なんて素晴らしいんでしょう」
四年ほど前、恩地日出夫監督から「これ読んで、(映画を)やるから」と一冊の本が渡された。「原作の素晴らしさに、すぐに『やりたい』と飛びつきました。嬉しい気持ちの反面
『こんな大自然をバックにした大作が本当に出来るのだろうか』と、正直半信半疑だった」
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長らく連絡がなかったが、二年前のある日、突然「ロケに行くよ」と監督から電話。山形県の豪雪の中から撮影は始まった。
「雪に触るだけで、切られるように身体が痛くて、何の芝居をしているのか分からないような状態。でも今思うと、それもいい思い出。初心に戻れたし、心が洗われた」
言葉の最後に「べし」がつく、原作者発案の「雅語(みやびご)」という独特な言葉も市原さんをはじめ、出演者は苦労したという。「魅力あるものは易しくないのね。これが普通
の言葉なら、あれだけの格調の高さと哲学的な説得力を持たなかったと思います」
脚本は一年中肌身離さず持ち歩き、移動のバスでは出演者と一緒に声をあげて練習した。低予算のため、いつ撮影がストップするか不安はあったが手を抜くことはなかった。情熱を注いだ原動力は自らも経験した終戦直後の貧困と飢えだ。
「今の若い人はそれを知らないから、助け合ったり慈しむ気持ちが薄い。“生きる”という根本的な力が欠けているように思える。可愛そうなことよ。私たちは共同体であるということを、この映画でもう一度見つめ直してほしい」
飽食の日本では想像できない、貧困の中で生き抜く知恵。貧困を経験した世代も、そうでない世代も、世代を超えて語り合える、最近では珍しい映画だ。
市原さんは最後に、今の福祉について「もっと福祉施設を多くして、もっと福祉社会になってほしい。心と体を一緒に看てくれる施設が必要です。豪華なリゾート施設なんか作るよりもね」と語った。
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| 1933年東京生まれ。大学卒業後、助監督として東宝に入社。作品は「伊豆の踊子」「四万十川」など |
映画を製作協力してくれた山形県、そして六万人の山形県の人が見て感動してくれた。雪の降る日、山形市の県民ホール千五百人が入りきらない盛況だった。試写
会が終わって出口で立っていると、見終えたおじいさん、おばあさんたちが目を潤ませて「監督、監督」と声をかけて握手を求めてくれた。うれしかったですね。
山形県では製作協力金として十枚一組一万円の前売りチケットを売って四千万円余りの製作費を作ってくれました。
八年前に原作を読んで映画化を思いついたが、ちょうどバブルがはじけた頃で、どの会社も尻ごみして消極的でした。製作費の工面
からはじめたが、なかなか容易ではない。紆余曲折のうちに長い年月が経ってしまった。
老人たちが若者たちを生き残させるために蕨野に行く。その生き方は誇りを持っているからこそ美しいわけです。
現代の日本では、介護を例にとれば、《介護する側の論理》でみて「あーだ、こーだ」といっているのであって、老人の立場《される側》からではない。老いを生きる人間にとって屈辱的なこと。
映画化を思いついたときは六十代。作品と取り組んでいるうちに、自分はどんどん年齢を重ねて今七十代になった。実態として死が近づいているから自分の心境も少しずつ変化している。この小説の老人たちの気持ちと重ね合わせると同じような、うらやましいような心境になる。作品が完成したとき自分も登場人物八人の後を追って蕨野へ行ってもいいという気持ちになった。
セリフが独特で、反対する声もあったが、方言ではだめで原作に忠実に従った。結果
は成功だったと思う。百点満点のうち三十点はこの言葉で得したとも言われたし、「日本語の美しさを知った」という手紙ももらった。
制作費の乏しいなかでやりくりしながら、みんな安い出演料でもよくやってくれましたよ。
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