文化財保存の新しい技術開発で多忙を極める杉山真紀子さん
美術展が盛んに開催され、首都圏にいるだけで古今東西の名品を鑑賞し楽しめる時代だ。だが、展示場をあちこち移動させる美術品を保存、修復している舞台裏は苦労が多い。杉山真紀子さんは、その研究の第一人者として最前線で活躍している。家庭の主婦からふとしたきっかけで美術展の手伝いを始め、後に大学で本格的に研究をするようになり、とうとう世界初の文化財保存科学分野の博士第一号となった。現在は、文化財保存で東奔西走する日々だ。
文化財の中でも絵画、掛け軸、古文書などはカビ、害虫の被害が多く、保存には美術館関 係者も日夜頭を痛めている。特に日本は高温多湿な気候でカビ、害虫の発生が多く、その対策が急ピッチで研究されている。
杉山さんは慶応義塾大学文学部卒業後、結婚して専業主婦となった。子供が小学生になったころ、大学の先輩から紹介され、母校で「イサム・ノグチ」展の準備を手伝ったのががきっかけで美術保存の道を進むことになった。
美術品の整理をしていると、手伝っている学生たちの中には美術品の絵巻物や掛け軸などの収納方法がわからなくてルーズになっていることに気付く。テキストのようなものが必要だと思い調べているうちに、美術品の保存に興味を持つようになった。
八代修次慶大教授から東京芸術大学へ行けば専門の保存科学学科があるからと薦められ、子供が小学校に入学して多少自分の時間が持てるようになったのを機に、院生として通 学することにした。
当時の保存科学はイギリスが先進国で、すべてテキストは英語の原書。毎週月曜日はプレゼンテーションがあるので、次々読破していかなければ研究に追いつかない。家族でファミリーレストランへいっても英書を手放さず目を通 した。幸い英語は好きで得意だったからさほど苦にはならなかった。後にカナダ(農業国で害虫研究の先進国)へ留学したとき、フランス、イギリス、アメリカ,スペイン各国からの学生がいた。英語が中心だが母国語がひんぱんに飛び出して外国語が入り乱れているようだったが、みんな、器用に討論を聞き分けていた。杉山さんは持ち前の英語力で乗り切ることができた。
貴重な美術品・文化財を傷めず保存するには、それなりの工夫や技術が必要だ。昔から日本では天気のよい日に「虫干し」が行われ害虫を放散させる風習があるが、害虫対策は最大の課題でもある。杉山さんは害虫・昆虫学の研究からスタート、自宅のガレージで昆虫飼育や実験もした。大学へは子供が登校したあと出かけて、夕方遅くまで研究室詰めになったことも。
害虫駆除学から昆虫愛好学へ「無酸素提示ケース」特許取得
美術館の宝物品展示収納箱。杉山さんが開発した脱酸素装置が下部に納められている
近年殺虫剤の開発で害虫駆除はすすんだが、殺虫剤の抵抗力をつけた害虫が世代を追う毎に強くなって種属保存を続け、さらに強い殺虫剤が開発されても、生き残る。いたちごっこのような状態が続き害虫絶滅は難しい。しかも殺虫剤は化学反応を起こして美術品を劣化させる心配もある。そこで考え出されたのが「無酸素法」。文化財を密封した袋、または箱から酸素を抜き取ると昆虫が棲息できなくなる。技術的にも手間がかかるが、保存には有効な方法だ。右の写 真は杉山さんが開発をすすめている「無酸素ケース」の実例の一つで特許取得したものだ。
杉山さんは最近、害虫駆除学から昆虫愛好学へと研究進路を軌道修正している。「無酸素ケース」はむやみに昆虫を殺傷するのでなく、入れないようにするものだ。また、教材用の「昆虫標本ケース」の開発も進めている。「今は『虫愛づる女』になりましたよ」と笑う杉山さんは一歩一歩、美術品保存に励んでいる。