「終戦にもかかわらず、多くの日本将兵を旧ソ連に連行した不法行為は許されない」と野田さんの舌鋒は今も鋭い
 朝日新聞記者から出征先の旧満州で終戦、当時ソ連のウズベキスタンに送られ、戦後復員して同新聞社の経済記者を経て、実父・豊氏の創設した野田経済研究所を継いだ野田皓一さん(84)が、このほど『大統領、謝って下さい』と題する自叙伝を出版。野田さんは昨年5月、風邪をこじらせて入院した際、「このままあの世へ逝ったら、私が何を考え、何をやったか、誰も知らない。先に逝った友人たちから、あの世の入口で“お前は何をやって来たか”と問われても困るから」と筆を取った。

 その最も強い動機となったのは平成3年4月。来日した当時のゴルバチョフ・旧ソ連大統領が、日本記者クラブで記者会見をした際、抑留体験のある野田さんは敢然として「シベリアで亡くなった日本将兵の遺族に対し、同情するというだけでは不満だ。謝罪を込めた遺憾の意を表していただきたい」と詰め寄った。終戦時すでに降伏していた将兵や、一般 邦人まで旧ソ連領内に連行して長期間、国際法違反の強制労働に服させたソ連の不法行為を糾弾した、その事実を後世に残したかった。
 ゴルバチョフ大統領は、社会主義計画経済の矛盾や非能率を指摘し、旧ソ連を解体して自由主義、市場経済のロシアへと転換させた人だけに、その質問に真剣に耳を傾けていたが、それでも一国の責任者として「それは私どもの複雑な歴史にとって容易でない問題だ。それを言い始めたらソ連国内で色々な論争が起こる。自分は抑留された人たちに、今は同情の念を表明したい」と謝罪は避けた。
 野田さんの勇気ある質問に、居並ぶ面々は「よくぞ言ってくれた」と握手を求めるなど、こぞって賛同し、このことを聞いた朝日新聞社の村山美知子社主からも、野田さんに「日本人の思いを代表された質問に敬意を表します」との異例の書簡が寄せられた。
 自叙伝はまた、戦後、岩波の進歩的文化人に対抗した慶應義塾大学の小泉信三教授のマルクス、共産主義批判に賛意を表し、さらに大先達の福沢諭吉の「コムニズムの漫論」をも紹介して、野田さん自身、反共の立場を鮮明にしている。一貫して流れる野田さんの主張は、ウズベキスタン抑留の実体験と、実父の強烈な反共産主義への共鳴からなる反マルクス、反共だ。マルクスのいう階級闘争を憎悪の鼓吹だとし、社会主義計画経済の矛盾、行き詰まりを指摘する野田さんの舌鋒は今も昔も変わらない。
 この点、容共というべきか、社会主義にも心を寄せてきた戦後朝日新聞の論調とはいささか異なる。従って戦後朝日新聞の伝統を継ぐ、今も実力者の中江利忠特別 顧問(元社長)ともひと味違うが、「中江君とは格別な縁がある」という。野田さんが経済部で財界担当のとき、後輩の中江氏に「私が財界回りで人を見てきた経験からいって、君は将来の社長の器だ」といち早く予言したが、その通 りになり、中江氏もこの予言を大いに得としているというのだ。
 野田さんは現在、日本記者クラブの最古参の一人として、老いてますます盛ん。健康の秘けつは菜食主義という程度で、ごく自然に暮らし、「生涯新聞記者」がモットーだ。
 自叙伝は、終戦時、日ソ激突を回避した関東軍将校の秘話や、抑留されたウズベキスタンで目撃した現地ロシア女性のおおらかさ、ソ連共産党の陰惨な弾圧政策、さらに社会主義攻撃のサッチャー元英首相の哲学、ノーベル経済学賞受賞者ハイエク・ロンドン大学教授の「小さな政府のすすめ」など、興味深い話を満載している。
 野田さん得意の経済については「小泉内閣が継続して構造改革を進めるならば、低迷している日本経済は活況を取り戻すだろう」といささか楽観的だ。そして小泉首相が進める構造改革路線に立ちはだかる最大の敵は“官僚社会主義体制”で、「これをぶっ壊さなければ改革は成功しない」と結論づける。