日本を代表するパントマイマーで、「ビューティフル サンデー」(1998年)などの映画でも幅広い演技をみせるヨネヤマママコさん(69)が25年ぶりに、作曲家シェーンベルクの名作「月に憑(つ)かれたピエロ」を再上演する。持病を抱えつつも奮闘するヨネヤマさんが「現代の不確実性をピエロの不安、怒りに託した」というこの舞台をどのように演じるか注目されている。
人間の孤独感を表現
25年前、さまざまな職業の女性8人がこの舞台を上演するためにボランティア「ルナティック・サーカス」として集まり、「若い今だからできる何かを探して、自分を表現し夢を実現したい」と、ヨネヤマさんに公演の自主企画を持ちかけてきた。当時ヨネヤマさんはマイムスタジオを主宰し、大勢の生徒を教えていたため断るつもりだった。しかしその日の夜にはすでにマイムのアイデアを練っていたという。
「月夜に一人立つ夢みがちで孤独なピエロ。誰しもそうした部分を持っていますが、特に私は孤独な部分を多めに持っていると思っています。自分の、社会から離れた異邦人的な内面に、ピエロが似合ったのでしょうか。本能のほうがマイムを作り始めていました」。語りのような歌声と、室内楽の演奏をバックに、幻想的な雰囲気の中でピエロが月に狂わされていく…。
25年前に上演された舞台は大盛況。その後何度も再演しようと計画されたが、音楽家のスケジュール調整や資金面などの問題もあってなかなか実現されなかった。
残虐な事件が続く“狂気の時代”といわれる今、誰もが心に抱える孤独感の普遍性を作品から感じ取ってもらいたい。そしてヨネヤマさんの今の舞台を見てもらいたい。そんな主催者側の強い思いが、健康面に不安を抱えるヨネヤマさんを動かした。
「首も痛めていますし、白内障の手術もしています。入院している101歳の母親を故郷・山梨まで見舞いに行っているということもあって、再演の依頼が来た時2回断りました」とヨネヤマさん。しかし当時のメンバーが再結集したこともあり、3度目の依頼で腰を上げた。「自分が一生涯やると決めたものは簡単に手放してはいけないのだと思って。この体だから良くはできないかもしれません。できることをありがたいと思ってやりぬくことに決めました」
ヨネヤマさんの25年ぶりの挑戦に、指揮者の大御所・三石精一さんら多くの人がボランティアで協力してくれた。衣装も25年前と同じく、映画「HERO−英雄」などで世界的に活躍する衣装デザイナー・ワダエミさんが手掛ける。ヨネヤマさんの30年来の友人でもあり、多忙極める中「ママコのために」と作り直してくれた。
詩人アルベール・ジローの詩にシェーンベルクが旋律をつけた21編中、14編にヨネヤマさんがマイムを取り入れるが、狂気のピエロを演じるということは、心身ともに大きな負担がかかる。演じきった後は廃人のようになってしまうという。「絶えず体と話をしています。調子の良いときを狙ってパパッとけいこをしてしまうなど調整しています」
今回は振付を前回とは全く違うものに変えた。「若いころのように、体が俊敏に動くわけではありませんから」。目標に到達できず、落ち込むことも増えたという。「でも今は、生きていくことの寂しさ、悲しさ、切なさをよりうまく表現することができます」
ヨネヤマさんは父親の影響でバレエを始め、東京教育大学入学後は、モダンダンスの江口隆哉氏に師事。「雪の夜に猫を捨てる」などオリジナル創作ダンスを発表した。そしてフランスのパントマイマー、マルセル・マルソーの来日公演を見て、その力強いマイムに衝撃を受ける。「自分はこの道を行っているんだ」。58年にNHK「私はパック」に出演して注目を浴びるが、60年、ヨネヤマさんは単身アメリカに渡り、カリフォルニア大学の公開講座などで指導しながら、「砂漠の中から薪を一つずつ集めるように」マイムのアイデアを練った。十数年に及ぶアメリカ生活から帰国後、72年に千代田区五番町にママコ・ザ・マイムスタジオを開設。91年には渡仏し、パントマイムに歌と語りを合わせた独自の表現形式「パンカゴ」を考案する。
気分転換は喫茶店で
“生涯現役”を目指し、玄米を食べるなど食生活にも気を使っている。「健康維持のために気分転換で喫茶店へコーヒーを飲みに行きますが、魂を落ち着かせる店が少ないので困ります」。都心はチェーン店が多く、店員はマニュアル通りの対応をする。ヨネヤマさんは1時間かけて高円寺の名曲喫茶まで行く。「店にはすすけ具合が必要です。都会ではどんどん木が切られ、ビルが建ち、空が見えなくなって来ていますし、大人が魂とともに腰を据える場所がないですね」
「原始的なものである肉体を使って、現代のことを表現する、この原始と現代がつながるのがマイムの楽しさ」。現在、けいこは大詰めを迎えている。ヨネヤマさんのピエロから、時代のゆがみ、自分自身の心に潜んでいるものが見えてくるだろう。