がんを患い、入退院を繰り返しながらも一人芝居を続ける女優・平泉緋紗さん(本名=鈴木あつみ・71)。17歳で女優を志すも結婚で断念。若くして夫に先立たれ、5人の子供を育て上げるが、がんの宣告を機に、40代後半から女優に復帰した。がんと闘いつづける一方、国内外で一人芝居を演じる。そして70歳で新しい演目に挑戦し、2日には立川市の女性総合センターアイムで再演となる「台所のメディア」の舞台に立った。その活力はどこからくるのか。
活力の源はどこから・・・
「人でなし、人でなし」。台所で女が一人、不倫をした夫への恨みを口にする。「このキッチンというろう屋に閉じ込められてひとりぼっち」「二度と人を愛さない。二度と人を信じない」。女は子供たちにケーキを持たせ、不倫相手の女性を毒殺する。そして将来苦労するだろうと、包丁で子供たちまでも殺してしまう。
これは一人芝居「台所のメディア」。平泉さんの演技は、重いがんを患っているとは思えないほど鬼気迫るものがある。3年ほど前、劇団「黒テント」の演出家・山元清多氏にギリシャ悲劇「メディア」の現代版といえるこの作品を書いてもらい、昨秋初演した。しかしこの時、平泉さんの容体が悪化し、周りは公演に猛反対。平泉さんは「生きて元気になる望みがあれば止めてもいいけれど、これが最後というならやめられません」と、「試演会」として上演した。観客の中にいた末期がんの人から「自分もがんばってみたい」という声もあがった。「昨年、舞台で『来年はいいものにしますから』と約束しちゃったから今年も舞台に立ちました」。体調が心配されたが、ほぼ満席となった2日の舞台は無事終了した。
この作品も含めて「波瀾(はらん)万丈なものが好き」という平泉さん。そういう平泉さん自身も波乱続きの人生を歩んでいる。
東京生まれの平泉さんは17歳の時に女優を目指して俳優座養成所に通うが、汽車の中で平泉さんを見初めた男性に求婚される。わずか2年の在籍で養成所を辞め、主婦になる。夫は25歳年上で父親は猛反対したが、「何でも教えてくれる夫は先生のようで、話をしているのが楽しかった」。5人の子供を産み、家事に追われる日々。「子供たちをおいて女優になる気はありませんでした。私は二兎(と)追えない性格なので」。しかし夫は結婚後20年たって他界。このときまだ平泉さんは30代、長男は高校生、末娘が小学2年生だった。
そこで「女性の感性を生かせるから」と呉服店を開こうと考えた。資金は無かったが問屋に「5人の子供を育てなければならないので、品物を貸してください」と頼んだ。オーナーは「好きなものを持って行きなさい」と太っ腹で、埼玉県に開店。店は繁盛し、10年間経営を続けた。
しかし、育児も金銭面も落ち着いた48歳のころ、胃がんを宣告される。その時から「好きなことをやらなきゃ損しちゃう」と、少しずつ店の営業を狭めて念願の女優復帰を計画する。荻窪にカルチャースクールを作り、演劇関係の交流を広めて土台を固めていき、一人芝居を始める。
一人芝居にしたのは性に合っているから。「台本通りの動きは苦手で、その時の自然な流れで演じたいのです。遠回りしたことで、心からの怒りや苦しみが演技に出せるようになったと思います」
アメリカ・中国などでも公演
途中、娘を一人交通事故で亡くすという不幸にも見舞われた。そうした波乱と戦いながら、日本全国やアメリカ・ロシア・中国・インドなどへ、ライフワークといえる「狐と笛吹き」を公演して回った。海外へは一人で行く。「みんな親切に教えてくれますよ」
10年ほど前には出産時の輸血が原因で、肝炎を患っていることも判明した。がんも数カ所にある。「苦しいとか痛いとかはそんなにつらくないです。演技に気を取られている時は苦しみを忘れられますから。記憶がなくなったり字が書けなくなったりして、『私は何にもできない、生きる意味がない』と思うのがつらいです。でも、周りの人に助けられて演じ続けてきました。芝居があったから、ここまで生き続けてこられたと思います」
今では子供たちも公演に協力してくれる。でも「自分の場所がほしいし、押さえつけられたくないから」と子供と同居はしないことにしている。「病気や演劇のためにたくさんお金を使ってしまいましたが、今のほうが豊かです。人の心をもらっていますから」とほほ笑む。平泉さんの活力の源は「人」なのだろう。
「『台所のメディア』では、主人公の女性は孤独に耐えられなくて暴走してしまいました。この舞台を演じ続け、人と人が寄り添うことの大切さを知ってもらいたいです」
歌の思い出 平泉緋紗さん
平泉さんが女優になるきっかけは、ある先生との出会いだった。
平泉さんは戦時中、千葉に疎開した。親と離れ寂しくて泣く子供たちの気を紛らわすため、1週間に1度みんなで歌を歌ったり、踊ったりしていた。
ある日、琵琶劇「石童丸」のけいこをしている所を平泉さんが通りかかると、女性の先生が「ちょっと来て演じてみて」と声をかけてきた。
無常を感じて出家した父親を訪ね、高野山を訪れた石童丸。だが彼は父の顔を知らない。父である僧は、「そういう人はいない」と言って子を帰す。
平泉さんが演じたのは父親役。琵琶の音律の中で言うせりふは難しく、演じられる子供が少ないなか、なぜか平泉さんは相手の調子に自然と合わせて演じられた。子供と父親と琵琶と3人だけの舞台。この時、演じることの楽しさを覚えた。
この、平泉さんに演劇を教えた先生がよく歌っていた曲がある。「赤とんぼ」である。「先生は非常に良い声で、歌うと風景が目の前に現れるようでした」。人生を変えた思い出とともにいつまでも心に残っている。