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「ジャイアンツのファンで、このホテルをよく利用します」と話す大石さんは明るい。
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「人は生きるために生まれてきたのだから」─病床を見舞ってくれた、いまは亡き母の言葉。エッセイスト大石邦子(62)さんは、この言葉を心の宝として近著の題名とした。二十代初めに交通事故で下半身まひとなったが、障害者の自分以上に苦悩した母のこと。そして高校時代に読んだO・ワイルド著「ナイチンゲールとバラの花」に登場する小鳥の死の意味が最近になって、やっと分かったという。一時は不治といわれ身も心もドン底に落ちたが、母の言葉を支えに乗り越えてきた大石さんに近況を伺った。
文京区の東京ドームホテルのロビーでお会いした。妹・芳子さんが同行、笑顔のすてきな大石さんをみて長い治療生活の苦悩など片りんもみられなかった。車いすでわざわざ福島から上京して、ごみごみした後楽園での待ち合わせには少し恐縮したが、大石さん自身は大のジャイアンツファンでドームへよく観戦に来るそうだ。このホテルから球場内へは車いすのままスタンドへ移動できるし、ホテル側もきちんと対応してくれるので定宿にしているとのことだ。ロビーを見渡すと車いすの人たちが何人もいる。バリアフリーが行き届いていることにいまさらながらに感服した。
大石さんは22歳のとき、朝の通勤バスの事故がもとで重傷を負い寝たきりの体になった。半身がまひし、排せつ機能までも奪われた。激しい痛み、吐き気が昼夜なく襲い掛かる。寝返りもできない苦痛、人間はそれでも生き続けなければならないのか、なんのために。二十代のほとんどを治療生活に費やし、なぜ自分はこんなにもつらい思いをしなければならないのかと自暴自棄になり父母に当たり散らした。
郷里の偉人 野口英世の名誉ばん回を
しかし、自分以上に苦しんでいたのは父や母であったことに気付いたのはずっと後になってからだ。
父母は明治最後の生まれ。明治人間は一徹なところがあり愛情表現が下手だ。父は学校長だった。酒だけが楽しみで、100歳まで生きて面倒をみてやるよというのが口癖だった。しかし、その父は心臓まひで急死した。母は「(前向きに)新しくやるしかないよ」というだけ。そのうち、母はがんに侵され苦闘の末、他界した。苦しみながらも愚痴をこぼさず生き続けた。
両親の苦しみは自分以上のものだったにちがいない。そのことに他界してやっと気付いた。高校生時代に読んだオスカー・ワイルド作「ナイチンゲールとバラの花」にでてくる小鳥はバラに刺され死んだ。若者の恋を成就させるため献身的だった小鳥になぜ神は手を差し伸べてやれなかったのか。あの小鳥のむくろこそ母の姿でなかったのか。年を重ねた今になって父と母の犠牲と愛の上で生きてきた自分を悟ることができた。これは昨年開催されたNHKラジオ深夜便で講演され大きな感動を与えた(CD市販中)。
今秋11月には、郷里の偉人・野口英世が没後57年にして千円紙幣として登場する。「野口英世は南米ペルーでは多く病気治療にあたり人命を救った功績をあげて今なお尊敬されている。その郷里の偉人が渡辺淳一作品であまりにもイメージダウンしたので名誉ばん回のため取り組みたい」という。
「偶然ではあったが、野口英世のめいと病院で同室になったことがあったのもなにかのご縁だった」とも。
大石さんの日課は、いつも夜中の午前2時ごろまで執筆や整理。だから朝はゆっくり、10時ごろ起床、入浴してお湯と水を交互にかぶる。朝食を兼ねた昼食を取り、午後は手紙の整理、来客の応対、最近は身のうえ相談を受けることも。
文学賞審査委員の仕事も多い。「母から子への手紙コンテスト」、中小企業に勤める人たちの文学賞など。講演依頼もこれから夏場にかけて多くなる。「多忙なことが大石さんにとっての健康法かもしれないですね」と聞くと笑ってうなずいた。