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今も一軒一軒、徒歩で回って写真集の
チラシ配りをする岩田さん。
「鶴見区では一人で2万世帯回りましたよ」 |
東京、川崎、横浜と3つの行政区を走る東急東横線の沿線タウン誌「とうよこ沿線」を20年間、編集してきた横浜市港北区の岩田忠利さん(65)。持っていた土地や貯金をすべてはたいてまで、今も雑誌作りに情熱をささげる。「たった一度の人生。自分という存在が人の役に立てれば」−。底知れぬ原動力の裏には、命を失いかけた約30年前の体験が大きく影響していた。
昭和55年から平成12年まで計74号発行された「とうよこ沿線」。小学生、主婦、高齢者など延べ2000人の地元住民がスタッフとして雑誌作りに参加した。岩田さんは地元でも有名な名物編集長。沿線の飲食店や病院の紹介、街角ルポ、ゆかりの人物特集など、生活のにおいがそのまま伝わる雑誌として沿線住民に長年、支持されてきた。
きっかけはある時の岩田さんの体験。「わたしの家は横浜ですが数百メートル先は川崎という行政境。以前、近所で同一犯による事務所荒らしがあり、警察に捜査を依頼したらあっちは川崎の中原区の管轄で、うちは横浜の港北署だからといった理由で協力してくれないことがあった。きっと東横線沿線住民も同じように“行政の壁”で不便を感じている人も多いはず」。行政区分によって生じる諸問題を日常生活から強く感じていた。
「情報不足や暮らしの不満を解消するためにも、沿線住民が情報交換できれば」と折り込みチラシで雑誌作りを呼び掛けると、共鳴した沿線住民約150人が集まった。サラリーマン、主婦、医者、会社の重役、新聞記者など年齢も職業もさまざま。
早速、発行母体となる「東横沿線を語る会」を19人の発起人で発足し、本格的な雑誌作りの一歩を踏み出す。最も紛糾したお金の問題は岩田さんが引き受けた。
「苦労の連続」と振り返る雑誌作りの道のり。発行当初、友人からは「どうして企業コンサルタントという安定した職業を辞めてまで」と猛反対された。周囲からは「せいぜい珍しい間の3号ぐらいまでだろう」と酷評された。
しかし岩田さんの意志は動じない。仲間と一緒に取材、編集、広告営業と必死にこなした。そんな岩田さんを支えていたひとつの思い。「失敗しても命を失うことはない」―。
「わたしは一度、死んだ身なんでね」。32歳の時、致死率の高い伝染病の日本脳炎にかかり、生死をさまよったことがある。10日間、意識不明が続き、周囲は葬式の準備までしたという。「この時もらった命を社会のために何か役立てたい。そう思って始めたのが一番の理由なんですよ」
ささやかな一歩が今では大きな地域の輪に。気が付けば今まで協力してくれた人や出会った人は、優に10,000人を超えた。タイトル「とうよこ沿線」の「東横」を平仮名にしたのも単なるPR誌でなく、そんな沿線住民による手作りの雑誌であることを強調するため。資金難から何度も廃刊の危機に直面したが「それでもできたのは多くの地域と家族の支えがあったからこそ」と感謝の気持ちを表す。
現在「とうよこ沿線」は休刊し、岩田さんは写真集「わが町の昔と今」の編集に奔走する。昔の写真を読者から借りてきて掲載する連載企画の延長で、今までに港北、青葉、鶴見、川崎中部、都筑、緑、神奈川各区の計8冊を発行した。また45歳以上の沿線住民を対象にした「えんせんシニアネット」を設立。パソコン教室も継続的に開催し、沿線住民への情報発信役も担う。
「本を通じて自分が生きていた証しを世の中に残せることがわたしの本望。毎日、忙しい日が続きますよ」
現在、一緒に取材活動をできるメンバーを募集している。そのほか写真集などについての問い合わせはTEL045・561・1000
えんせんシニアネットのホームページはhttp://www.ensen-senior.net/ |
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