旅の情報  
乱歩・夢二ファンも訪れる
鳥羽みなとまち文学館
三重県の風俗研究家 岩田準一
 旅の楽しみの一つに、文化人縁の地を訪ねるというものがある。真珠の養殖で知られる三重県鳥羽で、“鳥羽の鬼才”と呼ばれた風俗研究家の岩田準一=写 真左下=について紹介されている「鳥羽みなとまち文学館 岩田準一と乱歩・夢二館」を訪ねた。
 同館は岩田が生涯の大半を過ごした邸宅を、2002年に商工会議所の補助を得て修復、開館した。岩田の描いた絵や、友人からの書簡、大正時代の生活道具など約150点が展示されている。
乱歩、夢二を魅了

 岩田は明治33年にこの地で生まれた。中学生の頃から夢二風の絵で画才を発揮、後に竹久夢二に師事し、『夢二抒情画選集』を編集する。夢二が「著作については、志摩鳥羽の岩田準一がとてもくわしい、日本一の夢二通 」と語っているほどだ。
 岩田は中学上級の時、鳥羽町の小学校で開いた個展で平井太郎(江戸川乱歩の本名)と出会う。乱歩は23歳のときに鳥羽造船所に勤務。著書『パノラマ島奇譚』には鳥羽の相島(現・ミキモト真珠島)が書かれている。
 鳥羽には約1年しかいなかった乱歩だが、その後、文化学院の学生として上京した岩田と再会し、二人は親交を深める。岩田が乱歩の作品に挿絵を書いたり、同性愛に興味を持っていた二人は、連れだって古本屋で文献をあさり歩いたりした。しかし乱歩は「学究的素質において到底岩田君の敵ではない」と、文献収集を止めた。一方岩田は男色の文献研究をライフワークとし、日本男色史の名著『本朝男色考』を出版。フランス・イギリスでも翻訳、評価された。
 また海女や「はしりかね」と呼ばれる船遊女について著した『志摩のはしりかね』を執筆し、この地方の民俗研究にも多く功績を残した。男色研究では民俗学者・南方熊楠と10年間、170通 の書簡を通して討論を続け、渋沢敬三主宰のアチック・ミュージアムの研究員も務めた。
 しかし岩田は昭和20年に文献調査を行っていた東京の渋沢敬三邸で吐血。45歳という若さで惜しまれつつこの世を去った。
 「祖父はとても厳しい人だったと言います」みなとまち文学館で準一の孫で作家の岩田準子さんに会った。準子さんは「埋もれてしまっている祖父のことを知ってもらいたくて」と、祖父と乱歩の交友をつづった『二青年図』(新潮社)を著した。同書の中で、準一は乱歩に狂おしいまでに想いを寄せているが、これはスキャンダラスに小説を書くために準子さんが想像を膨らませたもの。しかし二十数年間濃い時間を共に過ごし、多方面 から影響を与え合ったことには違いない。同館にふらっと立ち寄った観光客達は、乱歩の意外な一面 に驚き、数々の文化人に影響を与えた「隠れた鬼才」を再発見するだろう。
 同館は鳥羽市鳥羽2─5─2 TEL 0599・26・375