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| 水ノ浦教会。青い空と白亜のコントラストが美しい。淡い色彩のステンドグラスが一層ひきたってみえる |
長崎県・五島列島は、祈りの島々でもある。信じる者への祈り、命懸けで旅立っていった人たちへの祈り、自然への祈り…。波の音、アンジェラスの鐘の音に交じって響く祈りの声が、五島の温かい風土をつくりあげたのかもしれない。
福岡空港から35分
上空からは、数あまたの島々がマリモのように見える。ひときわ大きな島が福江島。その中心地・福江市から西回りで島を巡ることにした。鹿児島弁とそっくりな五島弁を話す、福江市観光協会の瀬崎繁巳さん(46)に案内してもらった。
市街から20分ほど、静かな湾内の海べりに建つ堂崎教会。赤れんが造り、ゴシック様式の天主堂は明治41年(1908)に建てられた五島最古の洋風建造物だ。キリシタン復活の拠点であり、長く厳しい弾圧を耐え抜いた受難と勝利のシンボルでもある。明治6年(1873)、300年にわたる禁教弾圧の歴史が終わりを告げた後、同12年(1879)にマルマン神父が木造の教会堂を建て、これが解禁後の五島最初の教会となった。
マリア観音や踏み絵
マリア観音や踏み絵
せん塔アーチ型の木戸を開いて中へ入った。誰もいない。リブ・ヴォルト(こうもり天井)の空間に聖歌が流れ、信者でなくてもひざまずきたくなるような気分になる。現在はキリシタン資料館として迫害の歴史を伝える天主堂内には、仏教徒を装いながらひそかに祈りを捧げていたマリア観音、板踏み絵、宗門改め証文など200点余り。それらを見ると、悲しみと慈しみが溶け合ったような息苦しさを覚えた。
私たちが「隠れキリシタン」と呼ぶ当人たちはその呼び名を好まず、「元帳」「古キリシタン」と称しているのだという。信教が自由になっても、その一方では、潜伏の時代から抜け出すことができないまま今日に至っている信徒もいるそうだ。
外へ出て教会を眺めてみる。横側からは、切り妻造りの桟瓦ぶきになっているのが分かる。設計施工したのは、教会建築の第一人者・鉄川与助。上五島で大工の棟りょうの長男として生まれ、自身は仏教徒ながら、長崎県を中心に九州各地で50以上の教会を手掛けた。
隣町・岐宿町にある鉄川与助の手による2つの教会へ向かった。楠原教会は重厚な赤れんが造り、水ノ浦教会は白亜の木造建築だ。水ノ浦の入り江を望む坂上にたたずむ姿は、息をのむ美しさ。「私は門である。私を通って入る人は救われる」と書かれた2本の石柱の間を抜けて堂内へ。ミサの席が決まっているのか、いすの下には座布団やひざ掛けなどが置いてある。
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| 堂崎教会。資材の一部はイタリアから運び込まれた=県指定文化財 |
カトリック信者の人口密度が日本一という五島にキリスト教が伝来したのは永禄9年(1566)、時の藩主・宇久純定が宣教師を招いたことに始まる。しかし、豊臣秀吉によるキリシタン禁教令から始まり、幕末、明治初年にかけての「五島崩れ」という大迫害に至るまでの300年は耐え難きを耐えた長く苦しい年月だった。
遣唐使の寄泊地
遣唐使の寄泊地
水ノ浦から程近い魚津ケ崎(ぎょうがさき)は、遣唐使船の寄泊地だった場所。風待ちをしていた奥深く曲がりくねった湾を、公園から見渡せる。さらに西へと進み、日本での最終寄泊地・三井楽(みいらく)町へ。福江島の北西部に位置する三井楽は、その昔、美弥良久(みみらく)と呼ばれ、亡くなった人に会える西方浄土の聖地だとも信じられていた。遣唐使船は難波津(大阪)から瀬戸内海を経て、博多から五島へ。そして、最後に町の最北端にあたる柏崎に寄泊した。荒々しい外海を見下ろす柏崎公園には、空海の「辞本涯」という碑が立つ。日本の果てを去る。選ばれし者の命を懸けた覚悟が見えた。
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| 「ステンドグラス工房5・3・8」のメンバー。右から2人目が早瀬さん |
遣唐使ふるさと館では、「遣唐使ものがたり」「万葉集『行きし荒雄ら』」を上映している。また、三井楽教会には「ステンドグラス工房5・3・8」に集う地元の主婦9人がボランティアで制作したステンドグラスが収められている。「町のために」と、同町出身の赤瀬八百人氏が工房を建て、早瀬由紀子さん(52)が会の代表を務める。その魅力は「根気が要るけれど、出来上がった時の感動がたまらないから」。ステンドグラス体験は3時間3000円。
高窓のステンドグラスが美しいことで知られる貝津教会を見学し、淵ノ元へ。海に面した墓地にたたずむ十字架やマリア像越しに見る夕日に、最果ての地を実感しつつ、先人たちに祈りをささげた。
増便で気軽に
【交通】東京からは、羽田―福岡―五島福江が便利。昨年からANKの福岡―五島福江が増便した。
【問い合わせ】福江市観光協会 TEL0959・72・2963