ぶらり単線・出会いの旅
 

 
 里見駅を過ぎるころから、徐々に山が深くなっていく。カーブで汽笛を鳴らしながら崖と崖の間を通 り抜け、ゆっくり着いたのは飯給(いたぶ)駅。紀元前672年、壬申の乱の時、天智天皇の御子大友皇子が東国に逃れ養老川まで落ち延びたときに住民が食事を献上したところからこの地名が付いたという。
 田んぼの真ん中の飯給駅は自動販売機と電話ボックスしかない小さな駅=写 真右上。駅正面には白山神社の鳥居、道路脇には郵便局がある。列車の発着以外はとても静かだが、「最近は、久留里や木更津に抜けるダンプカーの通 行が頻繁で、安心して歩けない」と地元男性は嘆く。山道をどんどん上り、歩いて15分の真高寺へ。山門=写 真右下=は市指定の重要文化財になっており、観光客も多い。
 午前10時10分発下りに乗り、隣の月崎駅へ。両の車内は平日にもかかわらず、帽子にリュックサック姿の中高年で混んでいた。彼らは柏市内のサークルで、月崎駅前から大福山まで歩くという。駅に降りると40人ほどの中高年ハイカー=写 真左下=が一斉に地図をにらむ。“日本一遅い”養老渓谷近辺の紅葉は12月中旬でも楽しめるらしい。
 おしゃべり好きな彼らを見送れば、月崎駅はひっそり。構内には有人時代の駅長宿舎や井戸がある。線路脇に、高さ2メートル程のコンクリートの構造物を発見。「何だろう?」と思っていると、「蒸気機関車に水を供給していた時代、給水タンク台として使われていたの」と地元で作家活動を続ける遠山あきさん(86)=写 真左上=が教えてくれた。
 
●沿線最高齢女流作家 健筆ふるう遠山さん
 遠山さんは22歳で農家に嫁いで以来、月崎駅と小湊鉄道を愛し、見守ってきた一人。孫の子守りをしていた50代の時、自己表現の一つとして広告の裏面 の白紙に日常の面白いことを書き始めた。書く喜びを知った遠山さんは61歳のときに『雪あかり』で千葉文学賞を受賞。以後、『農村日記』はNHKラジオで放送され、『流紋』は千葉日報の新聞小説になった。
 現在、遠山さんが力を注いでいるのは地元誌『房総及房総人』に連載中の『小湊鉄道の今昔−レールは人生を乗せて』。鉄道の歴史や駅周辺の文化を調査、取材し、4年目を迎えた。
 「知れば知るほど面白い。“おらほうの鉄道”(俺たちの駅)と沿線の人たちは愛着と誇りを持っています。無人駅になった6年前、男子中学生が『駅が寂しいから』とニコニコしながら花を挿してくれたこと。待合室の壁に傘が3〜4本かけられ、『お困りのときは使ってください』と書かれていたこと。小学生の俳句を飾ったらひどかった落書きがピタリとおさまったこと…」
 遠山さんはこれらエピソードの連載を今年中に本にまとめる予定だという。