ぶらり単線・出会いの旅
 

「風俗考証は楽しいが、大変だった。『澪つくし』ならぬ『身を崩し』だ。」と笑顔の永澤さん

難読なこの駅は「かさがみくろはえ」。所在する笠上町と隣の黒生町から名付けられている。
 木造の駅舎では2人の駅員が連日交代で勤務している。切符販売のほかに、この駅で重要な仕事のひとつにタブレットの交換がある。タブレットとは単線区間で2つの電車の進入を防ぐため運転士に交付される通票。沿線で唯一、列車の交換を行う笠上黒生駅では、上りと下りの列車の運転席がちょうど顔を合わせるように止まり、窓から顔を出した運転士の間に駅員が立って、しっかりと受け渡しを行っていた。
 黒生町は昭和の中ごろまで、三州瓦と並ぶ日本有数の瓦の生産地だったという。黒生海岸で取れる黒い粘土で作るのが特徴で、戦前は瓦工場が並び、窯もあちこち見られたという。しかし次第に粘土が枯れ、戦後になるとセメント瓦の台頭により工場は減少。昭和40年代に、黒生瓦は姿を消してしまった。しかし現在も町にはその名残があり、十数の瓦屋が軒を連ねている。

駅の待合室にはざぶとんが
用意される心遣い
タブレットの交換は毎回行われる
 駅近くに、“銚子で一番の有名人”が居ると聞き、訪ねてみた。深い笑いじわと威勢のいい声が印象的な永澤謹吾さん(76)は、元教師で、銚子が舞台のNHK朝の連続テレビ小説「澪つくし」(昭和60年)の風俗考証を担当していた。「かをると惣吉を結びつけるために銚子電鉄を使い、銚子に伝わる子守唄『泣いてくれるな』も登場。子どもに恵まれず悩む設定では、実際に地元の小学校にある子宝石伝説を取り上げ、放送後は1200人以上が殺到した」
 自らの人生を「脇役人生」と語る永澤さんが銚子の民俗発掘に取り組み始めたのは、40代後半。高神小学校の生徒と「銚子は歴史に富んだ街だから、一緒に歩きながら勉強を始めよう」と「郷土を知る親子の会」を結成した。「読書じゃわかんねーよ。だば、歩いていっちゃえだ」と録音機片手に市内を歩き回り、人生の先輩を訪ねた。そして集めた民話や方言、史跡、風俗を、ガリ版印刷で小冊子に。「自分の手柄じゃない。すべて地元の人たちが教えてくれたからできたこと。銚子の人は口は悪いが、根性はいいから」
昭和27年ごろ、黒生瓦を焼く様子
(銚子市西芝町の武井年雄さん提供)
 その後、55歳で退職。現在はNHK農林水産通信員、銚子ボランティアガイド観光船頭会会長、銚子かっぱ村助役などを務め、多忙な毎日が続く。「今後は収集した“財産”を後世のためにまとめないげねえー」
 永澤さんの銚子弁はますますさえた。