「湯島」とは古代国語で「聖なる水ぎわの土地」の意味。今も昔も湯島といえば、湯島天神だ。菅原道真公、受験生、白梅、泉鏡花…と、あまねく想像力をかきたてられる。夫婦坂、天神石坂(男坂)、女坂を上ると、何が待っているのだろう。
|
|
|
文京区湯島。春日通
りから唐門の奥手にある銅鳥居から境内に入ると、正面
に本殿。それに向かい合うように、奉納された絵馬が重なり合う。早春には梅香漂う梅園もしばらくは緑の園だが、参詣に訪れる人は絶えない。
湯島天満宮は、正平十年(一三五五)、地元民が菅公の偉徳を慕い、その霊を勧請したことに始まり、その後の文明十年(一四七八)、太田道灌が社殿を再建したという。また、摂社の戸隠神社には、天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)が奉祀されている。こちらは、雄略天皇の勅命によって御宇二年(四五八)創建された。押見守康宮司(五六)=写
真右=が縁起を説明してくれた。昨年、菅公千百年祭が行われ、その記念に造った「鳳輦(ほうれん)」や、平成七年十二月に竣工した本殿の新築事業も進めてきた。
|
|
|
|
老朽化のため造営された新社殿は、宮司の「日本の木の文化を次世代へ伝えなければ」との思いから、樹齢二百五十年といわれる木曽檜を使った総檜造りに。本殿と拝殿が幣殿で結ばれた「権現造り」の建物は今後三百年以上はもつといわれる。
伊勢神宮が二十年ごとの遷宮で技術を伝承してきたように、「たとえ、世界に誇る技術があっても、仕事がなければ発揮できない。その技術も今のうちに伝えておかなければ、失われてしまうかもしれない」。そんな危機感を抱いての大事業だった。
最近、訪れた外国人の中にペルーの日本大使公邸占拠・人質事件で、犯行グループの説得に当たった、ファン・ルイス・シプリアニ大司教がいる。政府招待の来日中に日本文化をもっと知りたいという、大司教の意を汲んでの突然の打診だったが、「宗教を超えて、互いを認め合う交流ができた」。
世界平和を祈念する天満宮は、その一方で文学や芸能の舞台にもなってきた。
|
|
|
|
司馬遼太郎も、この境内は「恋に悩む場所にふさわしそうである」と記している。泉鏡花の『婦系図』を戯曲化した「湯島の境内」の美しくも切ない場面
のことだ。ドイツ文学者早瀬主税が芸妓お蔦に別れを告げるために呼び出したのが、この境内。新派でも映画でも、何度となく上演されてきた。その折には、決まって出演者がそろって参拝にやって来る。そして宮司も必ず劇場へ足を運ぶのだという。
本殿前、男坂と女坂の間にある梅園など、合わせて約四百本の梅の木がある。『湯島の白梅』にちなんで、八割が白梅だ。枝切り、花後の消毒、寒肥など、育成管理にかかる費用は年間六百万円。「都心で花を咲かせることに苦労はありますが、春に先駆ける梅を多くの人に見ていただきたい」と言う。
|
|
|
|
押見宮司はまた、文京区観光協会会長代理、来春行われる「文の京 唱歌・童謡祭」の実行委員長などを一手にこなしている。十一月一日からは、境内で『文京菊まつり』も行われる。
帰りは三十八段の急な男坂を下り、緩やかな女坂をもう一度上って、夫婦坂へ。広重の筆による「湯しま天神坂上眺望」の眺めは望むべくもないが、思いを馳せながら「登竜門」をくぐり、下りきると、そこは切通
坂。天神様の崖下には、石川啄木の歌碑が佇む。 |