坂のある街
 

 三両編成の東急池上線池上駅から商店街を歩いて参道を抜けていくと、木々に囲まれた高台にあり、地元の人が「お山」と呼んでいる池上本門寺が見えた。ここは日蓮宗の開祖・日蓮聖人終焉の霊場として知られる。総門をくぐると、九十六段の“此経難持坂(しきょうなんじざか)”が待ち構えていた。
江戸自慢三十六興 池上本門寺会式 歌川広重(二代) 歌川豊国(三代)元治元年 大田区立郷土博物館蔵
九十六段の石段は
ちょっときつい
 池波正太郎の『鬼平犯科帳』“本門寺暮雪”の章、参拝に訪れた長谷川平蔵と乞食坊主・録之助は、総門前の茶店で名物のくず餅を食べた後、此経難持坂を登る。が、その時刺客に襲われ、坂の途中で壮絶な戦いを繰り広げるのである。
 この坂は慶長年間(1596〜1615)に、武将・加藤清正の寄進により造られたと伝えられている。法華経宝塔品・此経難持の文の字数(九十六段)で築かれているのでこの名がついた。
 傾斜が急で、ハアハアと息を切らしながら登りきり、仁王尊像が左右から睨みをきかせる山門を抜けると、どっしりとした大堂が目の前に現れた。
 弘安五年、棲みなれた身延山から病気療養のために常陸に向かった日蓮は、途中、武蔵野国池上(現東京都大田区)の郷主・池上宗仲の屋敷で六十一年の生涯を閉じた。その後、宗仲が法華経の字数(六九三八四)にあわせて約七万坪の寺域を寄進したことで寺の礎が築かれたので、“池上本門寺”と呼ばれている。静かな境内には関東最古の五重塔を始めとする国指定重要文化財が数多くある。またプロレスラー・力道山の墓もあり、没後四十年となる今も、訪れる人は後を絶たない。奥には、西郷隆盛と勝海舟が江戸城無血開城の会見をした松濤園も。
 毎年十一月十一日から三日間かけて行われる日蓮の遺徳を偲ぶお会式法要。十二日の万灯練り行列には約三十万の人が参加するが、かつては百万を超す賑わいだった。
 静かな街・池上が最近活気づいてきた。昨年から本門寺には境内にステージが設けられ、アーティストによるコンサートが時々開催されている。開宗七百五十年を迎えたのを機に日々の慌ただしさで忘れがちな“感動する心”を取り戻してほしいと、昨年四月から今年三月まで「満月の十三祭り」と題した野外ライブを開催した。
 六月からは、野外ライブを中心に活動している「姫神」ら有名アーティストたちが月に一度のペースで演奏し、夜空に浮かぶライトアップされた境内に多くの若者が詰め掛けた。最近では本殿内ステージでのコンサートが中心になっているが、寺の新しい取り組みに、時代の流れを感じる。
野外ライブで盛り上がる若者たち
坂本千昭さん
 街の変遷を見守っている人がいる。生まれも育ちも池上で、池上本町会会長の坂本千昭さん(七三)=写 真=は参道沿いに店を構える内藤石材店の三代目。「子供の頃、店の前の道砂利道で、よく相撲や野球をして遊んだものだった。参道には今よりずっと店が建ち並んでいて、にぎやかだったね。空襲で昔ながらの建造物はほとんど焼けてしまって、静かになったけど」
 坂本さんらは「池上地区まちおこしの会」を結成、今年七月に「池上祭」を開催した。朗子鼓笛隊の演奏や歴史人仮装大会で盛り上がりをみせ、総参加者数は千百五十人にのぼった。
 門前町の賑わいを取り戻すべく、地元の人たちは懸命になっている。
 本門寺土産の定番・くず餅。その老舗が駅前にある浅野屋だ。まだこの一帯が農地であった宝暦二年(一七五二年)、初代店主が代用食として作ったくず餅を旧鎌倉街道沿いで販売したのが始まり。店舗が駅前に移ったのは戦後である。「味も一口サイズの三角形も創業当時から変わっていません。黒蜜ときな粉も、このくず餅に合うように工夫して作ったオリジナルです」と語るのは十一代目の浅野隆さん(六二)。創業以来のくず餅製法を、並々ならぬ 職人意識で守ってきている。「レシピはなく、先祖代々、後継者だけに体で覚えさせられてきました」鮮度が命のくず餅だから大量 生産はしない。支店も出さない。「変わらぬ懐かしい味が好きで、何十年も買い続けてくれるお客さんの信用を落としたくないですから」“本質から外れると必ず行き詰まる”という先祖からの言い伝えを守って、バリエーションも増やさない。「まだまだ修行中です」
 現在は後継者の長女と二人だけで、朝五時の仕込みから作業をしている。