坂のある街
 

 豊島区の宿坂といえば、古くから有名な坂道で鎌倉街道に近く旅篭もあり、宿泊客が多かったことからその名がある。中世には関所も置かれたほど。今はあまり話題にのぼらないが、坂の周辺を訪ねてみた。
 「山吹の里」が近くにあるというので、都電荒川線面 影橋駅を降りた。神田川を渡って見渡したが分からず、橋の右手のオリジン電気の入り口で「山吹の里」の碑はどこかと受付嬢に聞くと「その角です」。碑は会社の門柱角にあった=写 真左。
 山吹の里。明治末までこの一帯には山吹が群生していたそうだ。
《七重八重花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞ悲しき》
の和歌で知られる。名君太田道灌が高田へ鷹狩りをした折、激しいにわか雨にあい、雨傘を借りようと農家に立ち寄ったところ、娘が盆に1枝の山吹を差し出した有名なエピソード。実は「山吹の里」はほかにも数カ所あるらしい。
昔はうっそうと繁った樹木におおわれた坂道だったという宿坂
 さらに100メートル歩くと、円朝の「怪談乳房榎」で有名な南蔵院。境内ではかつての力士が力くらべをしたそうで、彼らの墓がある。そこから宿坂の手前に五色不動の一つ、目白不動がある金乗院。そこから200メートルの坂が宿坂。かつては樹木がうっそうと茂り、昼でも暗い道で、江戸名所図会にも描かれている。
 この坂を上ると狐狸に騙されるという伝説がある。ある冬の夕方、商人が茶屋でドンチャン騒ぎをしていると、突然辺りが暗くなって火の玉 が辺り一面に出た。足が前に進まなくなった。「狐だ、気をつけろ」とどなると火の玉 が消え明るくなって足が動き、坂を上ることができたという。今はマンションが立ち並び、狐狸なんぞすんではいないだろうが、町名は高田というのに、坂周辺のマンションの名前はほとんど「目白×××」がつく。目白は隣町で地名とは関係ないから知らずに訪ねてきた人はつい騙される。
 坂を上がると、目白通りに出る。左手にあるASA販売店=写 真右=をのぞくと、夕刊配達時間で大忙しの真っ只中。そっと避けて目白通 りを横断して雑司が谷・鬼子母神堂へ通じる参道・ケヤキ並木に入るが老木は2本だけ、残り若木ばかり。
 境内には樹齢600年の大イチョウ。リュックを背負った大勢のシニアの男女が境内の駄 菓子屋「川口屋」に立ち寄っていた。
 この川口屋は江戸名所図会にも紹介されている老舗中の老舗。創業は元禄年間。営々と引き継がれ、現在の店主・内山雅代さん(63)は13代目という。豊島区内でも最古の店といわれているが、都内でも最古の部類に入るらしい。同区郷土資料館には江戸時代天明元年、天保8年の店舗権利売買証書が残っている。飴屋と人形屋を金3両2分で忠次郎(川口屋の先祖)に売り渡したとある。将軍様が鷹狩りの帰りに飴を買って帰ったという伝説もある。
「“元子供”たちが懐かしがって買ってくれます」と内山さん
 いまは店頭にキャラメル、せんべい、酢昆布、飴玉 など古風だが懐かしい100種類以上の駄菓子が並んでいる。まだ、こんな商品が残っているのかと驚く。かつては西日暮里まで仕入れに行ったが、今は電話で配送してくれる会社があるそうだ。「子供はコンビニやスーパーへ行って、うちのお客さんは《元子供》たちだけ。最近の子供は買い物の仕方がわからない、不器用な子が多い。レジでコンピューター化されているので菓子を手渡しで買い物がうまくできないそうよ」。駄 菓子ケースの台箱は製造200年の時代ものと聞いてびっくり。ただ、雨の日はお休み。
 猫の好きな内山さんは写真集も出したが最近、猫泥棒がひんぱんにでて昨秋、愛猫1匹が居なくなった。かつては捨て猫が多くて餌代に困ったので「猫基金」という箱を店先に設けているが、猫泥棒が横行して境内も寂しくなった。