みなとみらい線が開通して、東京からぐっと気軽に行けるようになった横浜。この地で日米和親条約が調印され、今年で開国150周年になる。横浜から上陸して日本に定着した西洋文化は数多くある。灯台、日刊新聞、アイスクリーム…そうした“横浜もののはじめ”を探して、かつて多くの外国人が居留した坂の多い山手地区を散策した。
横浜、神戸、函館…と異国情緒漂う港町は、特に女性の心をくすぐる。散策した日もたくさんの女性観光客が、少女のように目を輝かせて丘を巡っていた。みなとみらい線の元町・中華街駅を出て、大きなカーブを描く谷戸坂を登る。この坂の左手、つまり港側は、「港の見える丘公園」がずっと続いていて、登りきったところから眺めると桜木町方面まで一望できる=写真右下=。園内には、小説「鞍馬天狗」で有名な大佛次郎記念館や英国総領事公邸として建てられたイギリス館があり、横浜市の花・バラなど四季折々の植物がいつも目を楽しませてくれる。
かつて外国人居留地としてにぎわったこの辺りには、多くの洋館がその姿をとどめている。園内にも横浜居留地時代最後の在留外国人建築家、J・H・モーガン設計の山手111番館がある。大きな吹き抜けを持ち、横浜の洋館の中では希少だという。
公園を出て、日本で初めて「ハムレット」を上演した西洋劇場・ゲーテ座跡に建つ岩崎博物館を横目に、外国人墓地に向かって山手本通りを行く。高台に立ってみると、つくづく横浜の街は変わりつつあると感じる。かつてはランドマークタワーが目立っていたが、林立する高層マンションで、その存在感も今や薄い。
そのまま道を進むと、山手234番館などの洋館が緑に囲まれて建ち並び、外国の住宅地を訪れたような雰囲気がある。この辺りには入場無料で、設備も整っている洋館が多い。「現代建築の父」ともいわれるアントニン・レーモンドの設計で、市認定歴史的建造物「エリスマン邸」もその一つ。レーモンドの師である世界的建築家F・L・ライトの影響が細部に見られ、大正時代に建てられたとはいえ、家具も含めて古臭さを感じさせないモダンなデザインである。隣には戦前の山手で、個人邸の西洋館としては最大規模を誇るベーリックホールが並ぶ。
その先を行くと代官坂上の標識。ここから下れば元町商店街に続くが、下らずそのまま行くとフェリス女学院や横浜山手女子学園が建ち並ぶ。山手地区は学校、特に女子校やインターナショナルスクールの多い地域でもある。フェリス女学院の中学・高等学校の脇を通っているのが、非常に急な汐汲坂。学生が楽器を抱えながら登って来る姿がたくましい。坂の途中には幼稚園もあり、毎日この坂を登るなんて、さぞかし心臓が鍛えられることだろうと感心してしまう。
横浜山手女子学園の向かいにはカトリック山手教会があり、その脇を進むと日本初の西洋式公園・山手公園がある。ここは1876(明治9)年に日本で初めて、屋外でプレーするローンテニスが行われた、テニス発祥の地でもある。「テニス発祥記念館」の中では、古いラケットを握ることができ、素振りをしてみた。重さは感じられないが、面が小さく打ちにくそう。明治時代のテニスはネットも今より高く、コートの真ん中が狭い砂時計型。ラケットの面も曲がっており、ボールも弾まないうえに、ウエアもロングスカートだった。当時の女学生たちがドレスや着物姿でプレーしている写真も展示されており、興味深い。また、ヒマラヤスギもこの公園から全国に広まったという。
丘をぐるっと回ったところで坂を下り、元町商店街にたどり着く。「商店街」なのに高級ブランドショップも建ち並ぶ。「店の入れ替わりは激しいね」と言うのは、商店街を抜けた外国人墓地の前にあって、故黒沢明監督もひいきにした日本料理「元町梅林」のご主人・平尾国男さん(57)。同店はこの地に店を構えて30年以上になり、平尾さんご自身は山手近辺に50年近く住んでいる。
「子供のころは外国人墓地でセミを捕ったりして遊んでいてもしかられなかったよ。横浜は今どんどん変わっているけど、何十年も変わらないのはこの辺りだけじゃないかな。墓地に守られているからね」と振り返る。
潮の香りに誘われて港方面へ向かう。すでに日も暮れ、街灯に温かなオレンジ色の火がともる。恋人たちがベンチを占領する山下公園から出て、向かいにある老舗ホテル「ホテルニューグランド」を終点にすることにした。後ろには中華街もあるが、ドリア発祥の地でもある同ホテルの「ザ・カフェ」で、ホタテやエビなどの魚貝がたっぷり入ってホワイトソースが濃厚な「シーフードドリア」に舌鼓を打つ。
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| 気さくな関根さんからバーの思い出を聞くのも楽しみのひとつ |
そして疲れた体を癒やすべく、重厚な雰囲気のバー「シーガーディアン�」でドライシェリーベースの「バンブー」と、ジンベースで横浜港の夕日を表わしたオレンジ色の甘い「ヨコハマ」が入ったグラスを傾ける。「バンブー」は明治20年代にグランドホテルの支配人、ルイス・エッピンガーが考案した日本初のカクテル。タワー建築以前の「シーガーディアン」は作家・大佛次郎や石原裕次郎らが頻繁に訪れ、国内外のVIPたちに愛された。メジャーカップを使わず、目分量で酒を量るなど当時の伝統は今も引き継がれている。
関根利夫マネジャーは「サザンオールスターズの歌詞にも登場したので若いお客さんも増えましたが、元町商店街の社長さんなど常連さんも多いです。年配のお客さんは、飲むこと自体が楽しいという感じで、パワーのある飲み方をしますね」と話す。
東京と同じように高層建築の波は横浜にも押し寄せているが、歴史ある文化を守りつつ、新しい時代の“横浜もののはじめ”を生み出してほしい。