天神坂では、自転車の人も
よっこらしょ |
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5本の指に例えられる東京の台地の南端に位置する麻布・高輪台。江戸時代、大名屋敷だった土地は、明治以降は皇族や財閥の邸宅として、また戦後はホテル、大使館、学校などに生まれ変わりながらも、街の雰囲気をとどめてきた。高松宮邸のある高輪1丁目周辺は、天神坂をはじめとする多くの坂などに落ち着いたたたずまいを保ちながら、人情の濃さを感じさせる街だった。
散策の出発点は地下鉄白金高輪駅。1番出口から、谷側になる桜田通り方面ではなく、山手側に出てみる。高輪コミュニティぷらざの脇にたたずむ大きな木は「旧細川邸のシイ」。幹周り8・13メートル、樹高10・8メートル、都の天然記念物でもあるという。ほどなく見えてくる長い塀の続く高松宮邸、高松中学、都営住宅や周辺マンションを含めたこの辺り一帯は、肥後544万石細川越中守の下屋敷だったところだ。
ふだんはひっそりとしている
赤穂浪士自刃跡 |
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| 「毎年5月の清正公のお祭りは坂上まで縁日の屋台が出てにぎやかですよ」とかどや酒店の西広さん |
細川家といえば、主君のあだを討った赤穂浪士がお預けの身となった大名家のひとつ。本懐を遂げた大石内蔵助と同志17人は、ここで切腹した。“自刃の地跡”は塀に囲まれ、うっそうとした木々の茂みに300年の年月が覆いかぶさってくる。
和菓子屋「とらや」の角の先を下る坂が天神坂だ。名前の由来は、「昔、坂の南側に菅原道真の祠(ほこら)があったため」とされる。坂上にある「かどや酒店」の店主・西広保之さん(64)も、一帯を「人情のある街」と評する。「この辺は関東大震災、東京大空襲でも焼けなかったところ。お屋敷町で寺町だからねぇ」。その一方で、商店は減り続け、マンションは増え続ける。その象徴が店先からも見える2つの超高層マンションだ。建設のため、ひとつの町が消えたという。それでも、西広さんが会計を務める二本榎通りと天神坂の76店から成る「高輪町栄会」は、商店街活性化のための「たかなわポイントカード」を区内のトップを切って始めるなど、知恵を絞っている。
昭和の初め、父親の代から酒店を営んできたという西広さんの記憶にある天神坂は、いつもにぎやかだった。小間物店、鮮魚店、キャンデー工場、畳店、染物店、乾物店、銭湯…。「ビールを載せた馬車が坂道を上ってきたり、スキーをしたり」と、思い出は尽きない。
そして、忘れられないのは高松宮邸で遊んだ日々こと。父親と一緒に配達に行っては、セミ捕りやプールで泳がせてもらったという。「宮さまは庶民的な方で、よく声をかけていただきました。塀のすき間から入ったこともあるなぁ(笑)。昔はのどかだったから」。その広い庭は子どもの目にも手入れが行き届き、桜の美しさは格別だったという。かつて邸内には、昭和天皇の3人の皇女も結婚式を挙げた「光輪閣」があった。あこがれの社交場の洗練されたスタッフにかわいがってもらったのもまぶしい思い出だ。
高松宮邸の正門から道を1本挟んだ隣にあるもち菓子屋「松島屋」の3代目・文屋弘さん(45)も、高松宮御夫妻に深い思いを持っているひとりだ。「近所を大切にしてくださった宮さまとは、結婚式のお赤飯を作らせていただいたのがご縁」。高松宮殿下がお好きだったのは豆もちで、兄である昭和天皇も来訪した折に豆大福を好んで召し上がったという逸話もある。「本当にありがたいことです」。そんな文屋さんが作る豆大福、きび大福、玄米大福(各140円)などは、今も多くの人に愛されている。豆大福は午前中にも売り切れてしまう人気ぶりだが、1個でも予約ができる(TEL03・3441・0539)。
今は住人を失った高松宮邸だが、邸内の緑の森から聞こえるせみ時雨の中に、門前の広場で遊ぶ子供たちの声が溶け込んでいた。