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親のしつけの重要性を訴え、
今年も全国行脚を予定する小野田さん
(去年11月に行われた帰還30周年の会で。
左は妻の町枝さん)
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フィリピン・ルバング島で30年におよぶ任務遂行の後、帰還して30年、小野田寛郎さん(82)は新たな1歩を踏み出した。日本、ブラジルでの活動も30年という大きな節目を迎え、ライフワークの青少年健全育成事業「小野田自然塾」も開塾20年。「親が変われば子も変わる」の信念のもと昨年から親子キャンプを取り入れ、新しい方向で出発した。この先「私を少しでも必要としてくれるならば5年、10年はがんばりたい」と意欲は衰えない。また小野田さんは自然塾20周年を記念して「君たち、どうする?」(新潮社・1365円)を出版、注目を集めている。
小野田さんは昭和19(1944)年、情報将校としてルバング島に任務、以来30年間、任務解除の命令を受けられないまま戦闘を続行した。その後、昭和49年に任務解除命令を受け日本に帰還した。
1年後、新転地を求めてブラジルに移住。約1200ヘクタールの牧場を開発し、1800頭の肉牛を飼育、10年後には牧場も軌道に乗った。そのころ、ブラジルの邦字紙が神奈川県川崎市の「金属バット殺人事件」を報じたことに小野田さんは強い衝撃を受ける。青少年の心のゆがみは猶予できない問題だと感じた。
そこで再び日本に戻り、青少年の育成に乗り出す。「自然は最高の教師である」「人は一人で生きられない」との思いから青少年たちとともに自然の懐に飛び込み、行動しようと決意、「自然塾」を立ち上げた。
家庭内暴力、いじめによる自殺、引きこもりなど子供をめぐる事件や社会問題が増加の一途をたどる。これは子供の自立心や忍耐力などの欠如が原因ではないかと小野田さんは考えた。子供本来の野性的な心を呼び戻すには自然を通じて養っていくことが最良なのではないか。自分自身のルバング島での経験を子供たちに伝えられれば、彼らは人間の本質に目覚め、自己の目的が持てるのではないかと、昭和59年に山梨県忍野村で初めてのキャンプを行った。
“親子のきずな”キャンプで強く
平成元年には(財)小野田自然塾を設立、平成3年には福島県塙町に専用のキャンプ場を作り、7、8月に野外活動を実施している。「自然塾は人間塾」との観点からますます内容が濃くなり、すでに2万人を超える青少年が巣立って行った。
子供たちに教えるキャンプの内容はテント張り、炊事、ナイフの使い方、ロープワーク、星と月によって方位と時間を知ることなど盛りだくさん。またサバイバルゲームで食料の分配や水の大切さ、火の話などで子供の記憶力、計算力、創意工夫,発明、発見の能力を掘り起こすことに全力を尽くす小野田さん。
「子供の保護者は親。親がしっかりしないと子供も目標、目的が持てない子供になる。昔は何か事が起きると、親の顔が見たいとよく言ったものです」と親のしつけの重要性を説く。来年度も親子キャンプを計画、家族のきずなを強めることを目的に実施する事になった背景にはこうしたことがあるからだ。
新刊「君なら、どうする?」の中で、小野田さんが母親にしかられたことを通じて自立心と忍耐力に芽生えていくくだりがある。現代社会の親子関係の希薄さをみればあっさりした関係の中にもきずなの強さがうかがえる。小野田さんが戦場から帰還したとき、母親は「ご苦労様でした。お礼を申し上げます」と言った。その言葉に小野田さんは感慨深いものがあるという。一見、他人行儀に聞こえるこの言葉も、小野田さんにとっては「私はかりにも将校、しかも51歳」と、当然の言葉と受け止めている。母親も息子を独立した男子として育てた自負があるように見受けられた。
こうした親のしつけ、教育の重要性から平成15年以降、全国を講演行脚している。
「死ぬ時は『小野田はきのうまで元気だったのに』という死に方をしたい」と言いつつも、背筋をぴんと伸ばし、82歳でなおかくしゃくとしている小野田さんの、これからの活躍が期待される。