ピンとまっすぐ伸びた姿勢で、
さっそうと登場した石井さん

 シャンソン歌手・石井好子さん(82)がパリの生活をつづったエッセー「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」(1963年出版)のレシピ版が、昨年出版された。本場でシャンソンを歌い、帰国後は日本シャンソン界の重鎮として活躍、と華やかな人生を送ってきた石井さん。その活躍の陰では、慣れないパリでの生活や、最愛の人を相次いで亡くすなど苦難を乗り越え、走り続けてきた歌手生活60年だった。石井さんは今年83歳を迎え、新たな人生のステージに立とうとしている。
 日本エッセイストクラブ賞も受賞した、「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」が暮しの手帖社から出版された63年。今ほど簡単に海外に行くことのできない時代に、同書のフランスの香りがするエッセーを読んで、遠い異国での生活にあこがれた人も多かったことだろう。
 石井さんは戦後間もなく、シャンソンの本場を目で見て本物のシャンソンを聞きたいとフランスに渡った。
 そもそも石井さんがシャンソンに夢中になったのは、学生時代にボワイエの「聞かせてよ愛の言葉を」を聞いてから。東京芸術大学でドイツ歌曲を学び、戦後は歌手としてジャズなどを歌っていたが、最初の夫と離婚後、父親の知り合いを頼ってアメリカに留学する。
 留学を終えた52年、初めてパリを訪れた。30歳のころだった。「わたしはとても幸運だった」と石井さんは振り返る。訪れたナイトクラブで店の主人の計らいでシャンソンを歌うことになり、そこに来ていた作曲家ミシェル・エメに見いだされた。
 「留学費用もなくなり日本に帰る予定でしたが、生活費くらいは稼げるようになってフランスにとどまることにしました」
 石井さんは政治家・石井光次郎の二女。パリで“遊学”することもできたはず。しかし「自立したらお金は送らない」と父親は言い、フランスでの仕送りはなし。
 「私の父親は幼いころに両親と死に別れて、祖母に育てられ、奨学金で学校に通いました。立身出世の人です」。そうした父親を見て育った石井さんは、自分も20歳になったら独立しようと考えていた。
 女性1人で海外に行くことなどほとんどない時代に、石井さんは365日、キャバレーのレビューで露出の多い踊り子をバックに、主役として歌い続けていた。「体力の蓄えかたや声帯を悪くしない方法など、歌っていくうえで必要なことを学びました」。この経験は、その後の自信につながった。
 帰国した54年、日本はシャンソンブームに沸いていた。石井さんは、日本シャンソン界を代表する歌手として華々しく活躍する。
 石井さんは40歳になったら後輩を育成しようと考えていた。61年に音楽事務所を設立し、岸洋子や加藤登紀子らを育てる傍ら、イベット・ジローらを日本に招へいするなど日本シャンソン界を背負おう存在になった。
 しかし順風満帆な生活は長く続かず、約30年前、経営悪化で事務所を閉じることに。さらに石井さんを不幸が襲う。夫と父親が立て続けに他界したのだ。
 新聞記者だった同い年の土居通夫さんとは、熱愛の末、39歳で結婚した。60歳になったら夫婦でゆっくり旅行でもしようと考えていた矢先だった。
 ある日、海外出張から帰ってきた通夫さんが原因不明の白質脳炎で倒れた。高齢の父親にはよく気遣っていたが、多忙な仕事とあわせて、夫の看病にあまり時間が割けなかった。「発病後3カ月で死んだ時は打ちのめされました。まさか60歳にならないうちに死ぬなんて思っていませんでしたから」。気を付けていれば病気にならずに済んだのかもと悔やんだ。1年くらい泣いてばかりいて、食欲も起きる気力もなく、歌も歌いたくなかったという。

「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」
レシピ版(扶桑社刊)

不幸に甘えず、めげず
 「わたしが立ち直れたきっかけは水泳です」。子供のころから大好きだった水泳。気落ちしている石井さんを心配した友人で元オリンピック日本代表選手の木原光知子さんに勧められ、本格的に週2〜3回のレッスンに通うようになった。「体を動かして汗をかいた後は、さっぱりして悲しいことは忘れています」。なんと87年にはマスターズ水泳台湾大会で優勝した。「(大会で)泳ぎきった時、本当にうれしかったです。私は生きているんだと実感し、前向きに気持ち良く生きていこうという力が沸きました」
 体力が付いてからは、本当に歌いたくなったという。「誰でも、不幸続きで心から笑えない時期があります。悲しみにおぼれていても、もっと不幸になるばかりです。不幸に甘えず、めげず、仕方がないんだと思って、食べたり歌ったりして生きていくほかないのです」
 今は、ベッドルームに置いてあるウオーキングマシーンの上を発声練習しながら歩いて体力をつけている。
 「年を取ると歩くのも、物を取る動作もおっくうになる。自分で自分のことをするようにしなくては」。日本尊厳死協会の会員でもある。「人に迷惑をかけたくないので」
 90年にはパリデビュー40周年記念リサイタルをパリ「オランピア劇場」で開催し、日本シャンソン界のトップとして走り続けている。「シャンソンには年齢に合った歌があるので幸せです」
 石井さんは9月の歌手生活60年記念リサイタルを終えてから、少し休養するつもりだという。「これまで目の前にあることに集中するのがやっとでした。予定に追われているまま死ぬのはいやです。これからのことは納得のいくようにしたいから、自分自身で答えを出すために立ち止まって、歌い続けるのか、何をやりたいのか、考えたいと思います」
 新約聖書の「求めよ、そうすればあなたたちに与えられるであろう。(中略)たたけ、そうすればあなたたちは開けてもらえるであろう」が座右の銘。これまで自ら門をたたき、新たな道を切り開いてきた石井さん。人生の次なるステージで、どんな門を開けるのか。

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