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全壊した旧家は今は更地に…。跡地を指す佐々木工さん
ボランティアセンター長 佐々木工会長
 ボランティアさんにはどうお礼をしたら良いのか、お昼は何を出したら喜ばれるのか―。七月二十六日、震度6強の激震に襲われた南郷町の被災者のなかには、派遣されてきたボランティアたちに戸惑い、こう問い合わせてくる人も一人や二人ではなかった。「お礼も昼食もいらない。ありがとうだけでいいんです」。しかし、農村部の同町では手を借りたらお返しをするのがしきたり、ボランティアという無償の行為の意味をすぐには飲み込めなかった…。
 南郷町の社会福祉協議会(佐々木工会長)は地震後駆け付けた首都圏のボランティア団体のメンバーらと「南郷町災害救援ボランティアセンター」を立ち上げ、ボランティアの受け入れを決めた。地震の翌日二十七日のことだった。救援要請の内容に応じてボランティアの派遣人数などを決めたが、その際、三つの原則を設けた。�@お礼は受け取らない�A住所、氏名は教えない�B昼食はごちそうになってはいけない。
 「町のみんながはじめボランティアさんにどう接したらいいのか困ってしまったのも無理はない」と佐々木さんは言う。佐々木さんはセンターの本部長に就き、救援活動の先頭に立った。人口七千人の南郷町典型的な農村地帯。町民のほとんどは昔ながらの住人だ。田植えなどで互いに力を貸し合う「結い」の伝統はあるが、逆によその人と助け合うという習慣には不なれだった。
 しかし、そうした反応は予想されたこと。それを承知でセンターを即断、立ち上げたのは「多くの人手がなければ、収まらない」ぐらい町の被害が甚大だったから。屋根や塀の損壊も目立ったが、もっと急務だったのが、大きな揺れで家中に放り出された家具、家財の片付け。戸棚から飛び出した茶わんや倒れて引き出しが出てしまったたんすなどで床は足の踏み場がないほどの家が続出した。特に、夫婦だけや独り暮らしの老人宅は、自分たちだけではどうにもならないのは明らかだった。
 同町に県内外から集まったボランティアは二千二百人ほど。小学生から七十歳代の人まで年齢、性別、職業はさまざま。首都圏からバイクや車で駆け付けた人もいた。彼らは現場に着くと、もくもくと汗を流した。
 こうしたボランティアは、一切が自前。被災近くに宿泊したボランティアもいたが、すべて自分で賄った。寝袋にくるまって一夜を明かした人も見られた。
 被災者の多くは、そんなボランティアたちに感謝と同時にお返しはどうしたらいいものかと、頭を痛めた。「お礼はタバコのようなものでいいのか」「お昼を出したいんだが、台所がめちゃくちゃ。代わりの昼食代はいくらぐらい?」―。同センターはその都度、ボランティアの意味を説明したが、半信半疑の被災者も少なくなかった。
 やがて、ボランティアとの接触が深まっていくにつれ、災害に遭った町民の反応も困惑から積極的に助けを借りよう、という姿勢に変わり始めた。派遣は遠慮したいと言っていた被災者が近所にやって来た彼らを見て、「わが家にも」要請してきたり、「親せきのところには十人来た。もっと増やしてほしい」といった声まで上がるようになった。南郷町は、ボランティア受け入れをためらっていた隣接の被災各地から比べ、復旧の足取りをより確かなものにしていった。
 震災三カ月後、佐々木さんはこう振り返る。「まだまだ世の中捨てたもんじゃない。だってそうでしょ、何の見返りも期待しないで、これだけの人が善意だけで集まってくれるんだから」。今も熱いものがこみ上げてくると話す。
 そして、もし、どこかで大きな災害があった場合は、今度は自分がボランティアとして就きたいと決心している。「今度助けていただいた方たちへの直接の恩返しとはならないかもしれないが、ボランティアとはそうしたもの。困ったときはお互いさま。教えてもらいました」
 佐々木さんの築九十年の旧家も、この地震で全壊した。