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  ものしりミニ講座 平成27年1月下旬号  
南朝の“亀裂”を示す  新田義貞の文書

群馬県生品神社の新田義貞像
 鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて活躍した武将・新田義貞のエピソードを紹介します。

 《為二 天下泰平・当家安全一、可レ被レ抽二懇祈一之状如レ件、 建武三年三月六日 左中将(花押)  神護寺衆徒御中》

 上記の文書は、九州へ敗走した足利尊氏を追撃するべく、後醍醐天皇から出陣を命じられた新田義貞が京都の神護寺に対して出したものです。尊氏の追討による天下泰平と新田家の無事を祈願させた内容になっています。

 一見、何の変哲もない文書のように見えますが、年月日に着目すると、とても興味深い文書であることがわかります。というのも、朝廷では二月二十九日に延元元年と改めたため、この文書の年月日は「延元元年三月六日」でなくてはならないからです。この文書は正文なので、後世の改ざんや写し間違いの可能性はありません。よって義貞は、わざと建武年号を使ったことになりますが、これはどういうことでしょうか。

 このことを考える上で、改元をめぐる後醍醐天皇と公家たちのやりとりがヒントになります。実は、今回の改元は公家たちが、渋る後醍醐天皇を押し切って実現したのでした。つまり、後醍醐天皇は不本意ながら改元に応じたのです。すると、義貞は後醍醐天皇に同調し、改元を迫った公家に不満の意志を示すべく、建武年号を使ったと考えられるのです。

 一般的に、尊氏離反後の建武政権とその後継政権である南朝は、忠臣ぞろいの一枚岩的なイメージがあると思います。しかし、右のエピソードからは、建武三年時点でその内部に亀裂が生じていたことがうかがえます。冒頭の文書もその証左に位置づけられそうです。この文書は、建武政権ならびに南朝の「実像」に迫る上で、重要な文書と考えられるのです。

《国立歴史民俗博物館・田中大喜》

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