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  千葉版 令和7年3月号  
大震災被災女性の心と言葉残す  映画監督・藤川佳三さん

「晩年をどう生きるかというのは結構難しい。愛子さんが精いっぱい生きる姿に、人生の普遍的な意味を感じました」と話す藤川さん。愛子さんが母や、ゆきなちゃんらとの思い出を大切に生きていたことに思いをはせ、「やはり人との関係が支えになるんじゃないかなって思います」。そんな藤川さんは現在、京都大学吉田寮をテーマにドキュメンタリー映画を製作中という
ドキュメンタリー映画「風に立つ愛子さん」公開
 東日本大震災で被災した人々の避難所になった、宮城県石巻市にある小学校。暗く沈んだ空気になりがちな中、ひときわ大きな声で明るく振る舞う女性がいた。その人、当時69歳の村上愛子さんに興味を持った映画監督の藤川佳三さん(56)は、カメラで彼女の約8年間の生活を記録する。すると、被災した高齢者の孤立など、さまざまな問題が見えてきた。「避難所から仮設住宅、復興住宅へと移るたびに新たな対人関係が始まる。それがいかに高齢者にとって心身の負担になるか」と藤川さん。ドキュメンタリー映画「風に立つ愛子さん」は公開中だ。

「映画を撮ることで“世界”を知ることができる」と話す藤川さん。今作では、「高齢者が津波に遭って生きていくとは、どんなことなのか。よく分かりました」。“主役”の村上愛子さんとは、東日本大震災の避難所となった石巻市立湊小学校で出会った。前作のドキュメンタリー映画「石巻市立湊小学校避難所」(2012年)の取材で同避難所に約半年間泊まり込んだ藤川さん。震災直後には約700人が生活していた同所で、炊き出しのための作業などに積極的に参加していた愛子さんの声の大きさと存在感に引かれたという。

 当時、被災者たちは湊小学校の2階、3階にあった15教室に分かれて暮らしていた。そのうちの1教室にいた愛子さんは、教室のみんなから家族みたいに慕われていた。「例えば愛子さんは、ゆきなちゃんという10歳の女の子と友達で、毎日一緒にいて歌を歌いながら元気そうに過ごしていました」。藤川さんは「この人、面白い人だな」と思い、カメラで愛子さんの動向を追うことになる。

 そんな藤川さんは、撮影を続けるうちに愛子さんと親しくなり、次第に彼女の生い立ちを知るようになる。

 母の介護や妹の看病で婚期を逸し、未婚のまま高齢になった愛子さん。避難所から仮設住宅に移るとき、市役所の担当者から求められた保証人には藤川さんがなった。「愛子さんに『誰かいるの』って聞いたら、『誰もいない』って言うんです。もう僕が保証人になるしかないなと思いました」

仮設住宅に7年
 結局、愛子さんは仮設住宅に7年間暮らしたが、対人関係は徐々に変化していった。「最初は、みなさん苦労してるから一致団結しているんですが、落ち着いてくるにつれ、ささいなことで意見がぶつかったりしてバラバラになっていきました」。しかも、石巻市の仮設住宅には市内のいろんな町や地域から集まってきた人たちばかりで、ほとんどが初対面。「知らない人と一から関係を築いていくのは、つらかっただろうなと思います」と藤川さん。希望者が多い仮設住宅に当選し入居できたものの、震災で失ったコミュニティー(地域社会)の喪失感は埋められない。外からは見えてこない現実だ。その後、愛子さんは復興住宅に移っていく。

 1968年、香川県観音寺市に生まれた藤川さんは、映画を見て社会や世界を知ろうとする子どもだった。地元の高校を卒業後、中央大学在学中に映画監督を志す。最初、劇映画を志向していたが、「現場でカメラを回すのが好き」だったことで直接、カメラを構えて人と向き合えるドキュメンタリー映画の監督を目指す。2001年に自主企画で「STILL LIFE」(ぴあフィルムフェスティバルで入選)を製作。05年には離婚した妻や家族と向き合った「サオヤの月」が劇場公開。12年には「石巻市立湊小学校避難所」が全国公開された。このほか、映画「菊とギロチン」(18年、瀬々敬久監督)のプロデューサーなども務めている。藤川さんは、撮影した映像を繰り返し見ていると、「現場では気付かなかったことを発見することも多い」と言う。

取材対象との絆
 カメラを向けて取材しながら、「撮影(取材)される人との関係を超えることもある」という藤川さん。愛子さんとも、「一緒に生きていく仲間のような気持ちになった」と話す。天涯孤独だった愛子さんにとって、そんな藤川さんは頼りになる存在だった。あるとき、仕事で東京にいた藤川さんは、愛子さんからの電話が留守電になっていることに気付いた。再生してみると、愛子さんの弱々しい声が聞こえてきた。「愛子です。留守電でもいいから、この電話がずっとつながっていることをお願い致します。この電話が通じなくなったら、つらすぎます」—。それからほどなくして、愛子さんは76歳で亡くなった。

 避難所から仮設住宅、復興住宅へと移り住むたびに周囲の人間関係が変わり、孤立していった愛子さん。「生活場所がリセットされるたび、病気もあった愛子さんは不安の方が圧倒的に大きかった。それだけに愛子さんは、家族みたいに慕われていた最初の避難所での思い出を大切にしていました」


©2024 IN&OUT
「風に立つ愛子さん」 日本映画
  監督:藤川佳三、編集:今井俊裕、実景撮影:田中創。79分。
 8日(土)から、キネマ旬報シアター(Tel.04・7141・7238)で公開。

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