定年時代
定年時代はアクティブなシニア世代の情報紙
ASA(朝日新聞販売所)からお届けしています
会社概要 媒体資料 送稿マニュアル
広告のお申し込み イベント お問い合わせ
個人情報保護方針 サイトマップ  
HP更新日 → 新聞発行日の翌々日(水曜日)
新聞発行日 → 第1月曜日:東京/埼玉/千葉/横浜・川崎/茨城
  第3月曜日:東京
トップ 東京版 埼玉版 千葉版 横浜・川崎版 茨城 高齢者施設 プレゼント
旅行 | おすすめ特選ツアー | 趣味 | 相談 |  | 仕事 | 学ぶ | これは便利これは楽々 | リンク | インフォメーション
定年時代
 
  横浜・川崎版 平成30年4月号  
膠原病を克服…「歌こそ命」  歌手・ウイリー沖山さん

生まれ故郷の横浜への思い入れは深く、10年ほど前には「ヨコハマの雨傘」というご当地ソングを歌ったと話す沖山さん。同じく横浜に強い思い入れを持つ五大路子率いる「横浜夢座」に人を介して誘われ、60代にして初めて舞台で演技したことも。「人間、いつになっても挑戦することは大事だよね」
85歳の“キング・オブ・ヨーデル”、復帰コンサート開催
 「スイスの娘」「山の人気者」など、速いテンポで繰り出される超絶技巧のヨーデルを駆使した楽曲のほか、豊かな声量と美声から紡がれるカントリーやジャズ、ハワイアンなどにより、「キング・オブ・ヨーデル」としてかつて一世を風靡(ふうび)したウイリー沖山さん(85)。4年前、膠原(こうげん)病(自己免疫疾患)に倒れたが、見事難病を克服。6月には生まれ故郷の横浜で復帰後初の本格的なコンサートに臨む。「“もう一度歌いたい”というその一念で病を克服できました。歌こそ命です」

 「今回のコンサートではヨーデルを復活させたい」と沖山さん。病に倒れた後、車椅子でディナーショーなどに出演したこともあったが、体に負担が大きいと代名詞のヨーデルを封印してきた。今回、その復活へ向け調整を続けているという。「コンサートではジャンルに偏ることなく、ヨーデルを含め自分が人生の中で歌ってきたさまざまな歌を歌いたいですね。皆さまには歌を通じて私の生きざまを感じてもらいたいです」とほほ笑む。

 沖山さんは1933年、アメリカ人の船員と日本人女性との間に出生。だが、戦争が始まると父は日本に入国できず、そのまま生き別れに。「当時は父が『敵国人』ということで嫌な思いをたくさんしましたね。その後、母がインド人男性と再婚。その人にはとても良くしてもらいました」  戦後、沖山さんはミッション系のインターナショナルスクールに進学。生徒の多くが各国大使館の子弟という格式の高い大学だった。

“この命ある限り”現役で
 そんな環境だったからか、その当時世界で歌われた最先端の音楽に触れる機会も多く、歌の道に入ったのも在学中のこと。「友達に誘われ進駐軍が運営するクラブのオーディションを受けたのですが、なぜか自分だけ合格しました(笑)」

 その後は、学校の先輩でカントリー歌手の黒田美治(びじ)が率いていた「チャック・ワゴンボーイズ」のほか、さまざまなバンドに属した後、自らのバンド「ブルーレンジャーズ」を結成。日本全国の進駐軍キャンプやステージを回った。

 進駐軍キャンプには、雪村いづみや平尾昌晃ら、日本芸能界の草創期を彩る面々のほかアメリカ人タレントも多数招かれていた。その中にはヨーデルの名手がおり、それを気に入った沖山さんは自己流でマスター。代表曲の一つで、カントリーヨーデルの名曲「スイスの娘」もキャンプ時代から歌っていたという。

 その後、沖山さんはレコードデビューを果たし、カントリー、ジャズ、ポップスなどさまざまなジャンルを歌い上げ、歌謡史の1ページを彩った。さらに40代半ばで、40人以上の歌手や踊り手とともに渡米、ラスベガスの土を踏む。しかし、英語ができて面倒見の良い沖山さんがなぜか一同のマネジャーも兼ねる羽目に。お金の管理までやらされ、へとへとになりながらステージに上がったと苦笑する。「当時ラスベガスで歌えば批評記事が新聞に載り、全米の人の目に触れました。ステージ翌日は新聞を見るのが怖かったね」。だが、沖山さんのステージは大好評。本場にも認められ、胸をなでおろしたと懐かしむ。

 帰国後もさまざまなステージやテレビなどで活躍。バラエティー番組にも進出し、「オレたちひょうきん族」では吉川晃司に扮(ふん)し、歌いながらお得意のヨーデルを披露したことも。「バラエティーではいろいろむちゃぶりされたけど、楽しく仕事ができましたね」

 その後、1985年に縁があって横浜にあった「バンドホテル」のナイトクラブ「シェルルーム」の支配人に就任。淡谷のり子やディック・ミネ、プラターズなど国内外の一流のアーテイストが登場する中、沖山さんも自ら歌いながら、ボーイの動きなどに気を配っていたと話す。「いわゆる雇われ店長でしたね。99年のホテル閉館まで務めさせていただきました」

胃瘻で栄養摂取
 4年前、沖山さんを襲った膠原病とは、本来ウイルスなどから守ってくれる免疫機能が、自分の体を異物として認識、体組織の一部を攻撃してしまう難病。沖山さんは病の影響で、一時は歩くことはおろか、体を動かすこともできなかったという。さらには咀嚼(そしゃく)機能障害に陥り、口から飲み食いすることもかなわず、現在は胃瘻(ろう)で体外から栄養を摂取している状態だ。「病床にあったときはさまざまに身の振り方を考えた」と言う沖山さん。だが、その結果、自分には「歌しかない」と思い知ったとも。「私の歌の一つに『この命ある限り』というのがありますが、文字通りこれからも死ぬまで現役で歌っていくつもりです」

♪〜いまが青春〜 ウイリー沖山の部屋♪
 6月7日(木)午後1時半、横浜みなとみらいホール(みなとみらい線みなとみらい駅徒歩3分)小ホールで。

 難病の膠原病に倒れリハビリを続けてきたウイリー沖山の復活コンサート。進駐軍のクラブ回り時代のころなど、懐かしいエピソードを交えながら、スタンダードナンバーを中心に歌い上げる。まさしく“いまが青春”。

 予定曲:「マイ・ウェイ」「ニューヨーク・ニューヨーク」「テネシー・ワルツ」「この命ある限り」「ヨコハマの雨傘」ほか。出演:ウイリー沖山、志賀裕(ドラム)、木村秀彦(ピアノ)、山口彰(ベース)、チャーリー湯谷(司会)。

 全席指定4500円。申し込み・問い合わせはインターナショナル・カルチャー Tel.03・3402・2171

ポイントページの先頭へ
横浜・川崎版
最新号
→ 令和6年過去の記事一覧
→ 令和5年過去の記事一覧
→ 令和4年過去の記事一覧
→ 令和3年過去の記事一覧
→ 令和2年過去の記事一覧
→ 令和元年過去の記事一覧
→ 平成31年過去の記事一覧
→ 平成30年過去の記事一覧
→ 平成29年過去の記事一覧
→ 平成28年過去の記事一覧
→ 平成27年過去の記事一覧
→ 平成26年過去の記事一覧
→ 平成25年過去の記事一覧
→ 平成24年過去の記事一覧
→ 平成23年過去の記事一覧
平成22年過去の記事一覧
平成21年過去の記事一覧
平成20年過去の記事一覧
平成19年過去の記事一覧
   
定年時代読者のためのおすすめ特選ツアー
 
 
定年時代
トップ | 会社概要 | 媒体資料 | 送稿マニュアル | 広告のお申し込み | イベント | お問い合わせ | 個人情報保護方針 | サイトマップ
当ホームページに掲載されている全ての文章、写真、イラスト等の無断複製・転載を禁じます。
Copyright Shimbun Hensyu Center Company. ALLrights reserved.