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  千葉版 令和4年9月号  
“反戦フォーク”歌い続ける  フォーク歌手・高石ともやさん

長年一緒に演奏してきた相棒、マーティン社製のギターを大切にしている高石さん。「このギターの音色は最近、ますます芯が太く安定感が出てきました。今が最高だと感じています」と喜ぶ
10月、「小さなコンサート」開催
 1960年代後半から始まり、「アングラフォーク」と呼ばれた日本のフォークソングブーム。その黎明(れいめい)期から活動している“元祖”フォーク歌手の高石ともやさん(80)は今も毎月1回、コンサートを開き、メッセージを込めて反戦歌などを歌い続けている。ロシアのウクライナ侵攻で“反戦フォーク”に再び関心が集まる中、10月8日に豊島区で開催される「小さなコンサート 2022秋 高石ともや」に出演。同公演を前に、「80歳になっても全然くたびれない。こんなに元気なのは、やるべきことがあるからだと思っています」と話す。

 衰えを知らないつややかでよく響く声―。ことし7月の夜、高石さんは相棒のギターを持って東京・町屋のステージで弾き語り、観客の共感を呼んだ。脱走兵のことを歌ったフランスのボリス・ビアンの歌を高石さんが訳した「拝啓大統領殿」や、戦争後の母と娘の会話でつづる「お捨てメリンダ」、「想い出の赤いヤッケ」、「陽気に行こう」など、おなじみの曲に続いて歌ったのが「思い描いてごらん」。ジョン・レノン「イマジン」の原詞にとらわれず、全体の意味をくみ取って意訳して歌う同曲を聞いた詩人の谷川俊太郎は、「こういう日本語の使い方は初めてだ。(歌詞が)スーッと入ってくる」と感心したという。

 メジャーな歌謡曲に対し、「アングラ」と呼ばれた高石さんらフォーク歌手は、ベトナム戦争や経済成長でひずんだ社会に対し自分のメッセージを込めて歌い、若者から熱く支持された。特に、外国の曲を日本語で紹介した功績は大きかった。彼らフォーク歌手の活動拠点となったのが独立系レーベル、URC(アングラ・レコード・クラブ)だった。

 「URC」からは岡林信康、五つの赤い風船、遠藤賢司、高田渡、加川良、中川五郎、はっぴいえんどらが楽曲を発表。高石さんは当時を回想し、「歌い始めたころ、フォークソングがあんなに力を持つなんて思いもしなかった。時代の波にさっと乗れた僕はラッキーだった」と目を細める。

「語り」は寄席仕込み
 高石さんは北海道雨竜(うりゅう)町で鮮魚店を営む家庭に生まれた。父親譲りの美声を持ち、ギターのほか多くの楽器を演奏する高石さんは、兄の影響で子どものころからディキシーランド・ジャズやカントリー・ミュージックなど幅広い音楽に興味を持つ。高校生のときにはハワイアンバンドをやっていたが、そのころからフォークソングも歌い始めたという。大学(立教大学文学部日本文学科)進学のために上京するも家賃や食費を自分で稼がなくてはいけなかったため、アルバイトの毎日。旧丸ビルでの清掃作業や土木作業など、さまざまな仕事を経験する。そんな労働現場で覚えた歌がフォーク歌手となってからの持ち歌となる。また当時、夢中になったのが寄席通い。古今亭志ん生や柳家三亀松らの落語や都々逸(どどいつ)を聞いたことが、外国曲の意訳や舞台での間の取り方などで大いに役立った。

「受験生ブルース」
 東京での学生生活が嫌になっていた高石さんは、アルバイト先の新潟県・赤倉温泉スキー場から客の車に乗せてもらって大阪へ行き、そばの屋台で働き始める。その傍ら、集会場所や教会などで歌っていたが66年9月、大阪・YMCAのフォークソング愛好会に飛び入り参加、これが舞台デビューとなった。同年12月にビクターレコードからシングル「かごの鳥ブルース」でレコードデビューする。67年に「想い出の赤いヤッケ」、68年には「受験生ブルース」を発表。特に「受験生ブルース」は、高石さん最大のヒット曲に。その少し前にミリオンヒットとなったザ・フォーク・クルセダーズ「帰って来たヨッパライ」とともに、全国にフォークブームが広がるきっかけとなった。

商業主義に違和感
 だが、高石さんはフォークブームを避けるように渡米、尊敬する米フォーク歌手のピート・シーガーやマルビナ・レイノルズに会いに行く。このとき高石さんは「フォーク歌手を辞めようか」と悩んでいた。大手レコード会社の参入などでフォーク界は「レコードの売り上げがすべて」と商業主義に染まってしまい、高石さんは強い違和感を覚えた。「僕はお客さんとのやりとりが大好き。それが楽しくて歌っている。レコードが売れるとマネジャーは喜ぶけれど、僕はちっとも楽しくなかった」

 カリフォルニア・バークレーに、「リトル・ボックス」などの著名な曲を書いた女性、マルビナ・レイノルズを訪ねた際、そんな自分の心境を話すと「歌ってみて」とうながされる。高石さんの歌を聞いたマルビナは「歌手を辞めないで続けなさい」とアドバイス。帰国後、高石さんは自らの原点に戻って野外コンサートで全国各地を回る。71年にはフォークバンドのザ・ナターシャー・セブンを結成し、バンド活動に精を出す。「アメリカに行ったおかげで商業主義の波に飲み込まれずに済みました」

山道走り、体力作り
 アメリカで走ることの楽しさを知った高石さんは、今も京都市内にある自宅の裏から続く山道を走り続けている。その途中、遠くに見える山の頂に向かい大きな声を出す。「客席の一番奥まで声が届くようにという気持ちで発声していると、ステージで声の伸びが全然違うんですよ」

 今回が3回目となる10月8日の「小さなコンサート」ではゲストになぎら健壱を迎え、歌や話を披露する。世界で戦争や紛争の拡大が懸念される今、聞く人々の共感を誘う高石さんの歌声。「これからやるべきことも、きっと天から降りてくると予感しています」

♪ 小さなコンサート 2022秋 高石ともや ♪
 10月8日(土)午後0時半、自由学園明日館(JR池袋駅徒歩5分)講堂で。
 出演:高石ともや、なぎら健壱(ゲスト)。全席自由6000円。チケット予約は氏名、〒住所(集合住宅名も)、電話・携帯、チケット枚数を、電話またはファクス(03・6418・8740)で伝える。テレビマンユニオンTel.03・6418・8617

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