定年時代
定年時代はアクティブなシニア世代の情報紙
ASA(朝日新聞販売所)からお届けしています
会社概要 媒体資料 送稿マニュアル
広告のお申し込み イベント お問い合わせ
個人情報保護方針 サイトマップ  
HP更新日 → 新聞発行日の翌々日(水曜日)
新聞発行日 → 第1月曜日:東京/埼玉/千葉/横浜・川崎/茨城
  第3月曜日:東京
トップ 東京版 埼玉版 千葉版 横浜・川崎版 茨城 高齢者施設 プレゼント
旅行 | おすすめ特選ツアー | 趣味 | 相談 |  | 仕事 | 学ぶ | これは便利これは楽々 | リンク | インフォメーション
定年時代
 
  千葉版 平成24年2月号  
12日に「チャリティ寄席」  東京太・ゆめ子さん/川口ひろしさん

「今では兼業主婦と兼業主夫です」と東京太さん(右)とゆめ子さん
松戸在住の芸人集合
 松戸市立病院ボランティアの会が主催する「チャリティ寄席」が12日(日)に行われる。そこに出演するのはネタの終わりに「母ちゃん! 帰ろうよ」のフレーズが受ける夫婦漫才の松戸市千駄堀の東京太(68)・ゆめ子さんと主に女性歌手の歌まねの松戸市栄町の川口ひろしさん(70)ほか。口をそろえて「その日が今から楽しみ」と言う。

 「チャリティ寄席」は今回で4回目だが、最初から東京太・ゆめ子さんは出演している。きっかけは前松戸市立病院院長の藤塚光慶さんと自宅が隣近所だったため。藤塚さんから院内で漫才をしてくれないかと要請されたのが6年前。

 「二つ返事で引き受けましたが、バス代も出ないよと言われまして、それでも川口さんを誘って院内寄席をしました」

 それが発展して「チャリティ寄席」になったわけだが、毎回京太さんらが仲間に出演を呼び掛けメンバーが集まる。

 京太さんは1961(昭和36)年に松鶴家千代若・千代菊に入門した。

 「師匠に司会の仕事が入りましたが、入門4カ月で私が岡山県まで行きましたが、何も話せずに帰ってきました」

院内寄席がきっかけに

小林幸子、瀬川瑛子、島倉千代子ら女性歌手の歌まねに定評がある川口ひろしさん

 63年に京二さんとコンビを組み、85年まで東京二・京太として活躍、解散後は漫談や司会業で舞台に。「京太さんの漫談は最高に面白かった」と川口さん。

 93年にゆめ子さんと夫婦漫才コンビを組んだ。76年に結婚していたが「それまで専業主婦でした。どうしても漫才をしたくて京太さんにお願いしました」とつっこみ役のゆめ子さん、夢が実現した。

 その後は東京漫才としてお笑いを提供、10年には漫才として初めて文化庁芸術祭大衆芸能部門で大賞を受賞した。

 京太さんと50年来の友人という川口ひろしさんは、17歳で歌手デビュー。しかし思いがけずお笑いの世界へ。灘康次さんに師事し、「灘康次とモダンカンカン」のメンバーに。その後、「体も精神も金銭的にきつくてやめました」と当時を振り返る。

 「いろいろオファーがありましたが、ピンボケトリオに入り、そこで9年過ごしました」

 その後、川口さんは一人で歌まね、司会、漫談の世界に。「当初、1人では話すこともできずに救いの手を京太さんに求めていろいろ教えてもらいました」。「美空ひばりの歌まねは天下一品ですよ。見事です」と京太さん。ゆめ子さんは「川口さんの歌まねは品があります」。84年から「松方弘樹ショー」の専属司会者として活躍、「だいぶ回数が減りましたけどいまでも声を掛けていただいています」。

 川口さんと京太さんは所属する組織が違うために同じ舞台に立つことが最近ほとんどない。「今回は京太・ゆめ子さんの話が聴けるので楽しみにしています」と川口さん。

 京太さんは漫才と漫談は全く違うと言う。「漫談は自分でストーリーを作りすべて一人でこなす。漫才はコンビの息、会話の面白さがありそれぞれ難しさ、楽しさがありますよ」とそれだけにやりがいがあると言う。いまでは「舞台に上がるだけで笑ってくれるのでありがたいことです」とゆめ子さん。川口さんも芸能の世界で50年以上生きてきただけに当日は「いぶし銀の芸」を見せてくれるだろう。

松戸市立病院ボランティアの会「チャリティ寄席」
 12日(日)午後4時、松戸市民劇場(JR松戸駅徒歩3分)で。

 出演は漫才・カントリーズ、ニックス、曲芸・鏡味味千代、歌まね・川口ひろし、漫才・東京太・ゆめ子、歌謡漫談・玉川カルテット。

 前売り2000円、当日2500円。問い合わせは TEL.047・369・5507
「チャリティ寄席」 収益金の送付先「田野畑村診療所」について
 岩手県下閉伊郡田野畑村(人口約4000人)は、かつて長い問無医村だった。1982年、当時千葉県がんセンター産婦人科に医長として勤務していた将基面 誠(しょうぎめん まこと)医師は、田野畑村村長の依頼を受け、岩手県田野畑村に移住した。

 無医村であった田野畑村に診療所を開設し、以来、19年間にわたり村民と苦楽を共にし、築き上げた診療所も後任に引き継がれた。現在は3代目の医師が診療に当たっている。

 将基面氏は千葉大学医学部で、現在松戸市立病院「ボランティアの会」の代表及び会員である藤塚光慶・万里子医師夫妻の6年先輩に当たる。

 将基面氏の家族が田野畑村に移った時、夫人は病に冒されていたが、将基面氏とともに村のために大変尽力した。残念ながら7年後に死去したが、千葉県木更津市で行われた葬儀に、田野畑村から約200人の村民がバスで駆けつけ参列した。

 昨年の大震災では、海辺の家屋や漁船は、ほとんど津波に流され多くの犠牲者が出た。

 そこで、今回のチャリティ寄席の収益金を義援金として田野畑村診療所ほかへ送ることになった。

ポイントページの先頭へ
千葉版
最新号
→ 令和6年過去の記事一覧
→ 令和5年過去の記事一覧
→ 令和4年過去の記事一覧
→ 令和3年過去の記事一覧
→ 令和2年過去の記事一覧
→ 令和元年過去の記事一覧
→ 平成31年過去の記事一覧
→ 平成30年過去の記事一覧
→ 平成29年過去の記事一覧
→ 平成28年過去の記事一覧
→ 平成27年過去の記事一覧
→ 平成26年過去の記事一覧
→ 平成25年過去の記事一覧
→ 平成24年過去の記事一覧
→ 平成23年過去の記事一覧
平成22年過去の記事一覧
平成21年過去の記事一覧
平成20年過去の記事一覧
平成19年過去の記事一覧
   
定年時代読者のためのおすすめ特選ツアー
 
 
定年時代
トップ | 会社概要 | 媒体資料 | 送稿マニュアル | 広告のお申し込み | イベント | お問い合わせ | 個人情報保護方針 | サイトマップ
当ホームページに掲載されている全ての文章、写真、イラスト等の無断複製・転載を禁じます。
Copyright Shimbun Hensyu Center Company. ALLrights reserved.