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14年にわたって福島県を歩く渡辺一枝さんは、被災地の厳しい状況を認識しながらも、「住民主導のまちづくり、被災伝承の動きがあちらこちらに出てきています」と話す。代表例の一つとして挙げるのは、東電福島第一原発の北に位置する同県南相馬市小高区だ。住民を含む有志が2023年夏に開館させた「おれたちの伝承館」を軸に、映像記録作成や店舗運営など、さまざまな取り組みが進んでいる。「これはひとつの『希望』。力を合わせていきたいです」 |
8月17日、トークの会「福島の声を聞こう」開催
東京で原発事故の被災者の肉声に接する「トークの会『福島の声を聞こう』」。作家の渡辺一枝(いちえ)さん(80)が東日本大震災翌年に始めたこの会は回を重ね、17日に「第50回」の節目を迎える。足しげく被災地に通う渡辺さんは「私が『この人の話を聞いてほしい』と感じた人をお呼びしています」と話す。福島はもともと縁があった地ではなく、「私自身、『被災者の気持ちが完全に分かる』と思ったら、それはおごりです」。だが、「被災者を取り巻く状況はむしろ深刻さを増している」との確信はある。「悲しみや憤りに共に震える“共震者”であり続けたい」
《愛郷心は呼び覚まされて被曝(ひばく)から逃れし人らの心を揺らす》
今年5月の第49回トークの会。渡辺さんは、ゲストスピーカーを務めた歌人・三原由起子さんと語り合った。三原さんは2011年の東電福島第一原発事故後、長く「全町避難」を強いられ、14年以上たった今も「帰還困難区域」が広がる福島県浪江町の出身だ。三原さんの実家の店舗や母校など、元からある建物は相次ぎ取り壊された一方、JR浪江駅周辺をはじめとする街並みの一部は装いを一新しつつある。「復興」を見つめる2人の思いは“共震”する。「もともとの住民の声はおざなりにされて、復興の“演出”ばかりが前面に出ていないか…」
“心の故郷”求める
渡辺さんは終戦の半年余り前、当時「満州」といわれた中国・ハルビンに生まれたが、父親との「思い出」はない。その誕生を喜んだ父は終戦直前に召集され、渡辺さんは終戦翌年、母親と共に日本の土を踏んだ。引き揚げ後、各地を転々とした記憶はある。「故郷がない私は、どこかで“心の故郷”を求めている気がします」
渡辺さんは1987年、18年間の保育士生活に終止符を打ち作家業に専念。理想の保育や“心の故郷”のように感じられたチベットを主なテーマに執筆を続けた。中国から事実上、自治権を奪われているチベットの実状に迫ったルポルタージュ「消されゆくチベット」(13年、集英社新書)など、抑え込まれる側に寄り添った著作が多い。
東日本大震災後は、岩手県沿岸部でのボランティア活動を経て福島県浜通りへ。初めは被災者の団体と連携しながら、メールマガジン「一枝通信」で被災地情報の発信を開始。加えて「トークの会」を企画し、12年3月に第1回を催した。これらの活動の傍ら、「ふくしま 人のものがたり」(21年、新日本出版社)などを著している渡辺さんは、こう話す。「本当はじかに(原発事故の)被災地を見てほしいのですが…」
トークの会は、年数回のペースで回を重ね13年余り。毎回、被災地にとどまる人や避難者らを、原則として1人ずつゲストスピーカーに招いている。ゲストは全て、「私が話を伺って、感じ入った人」。頻繁に街頭や演壇に立つ活動家や著名な研究者よりも、「主に、人前で話す機会の少ない『市井の人』にお声掛けしている」と言う。自身が福島の事故前から抱く「反原発」の思いは事故後、さらに強い意志となったが、「トークの会は(反原発の)『運動』に位置付けていない」とも。「まずは当事者の声に耳を澄ませていただきたい。その後の行動は参加者一人一人に委ねます」。20年は新型コロナウイルス流行のためゲストの上京を見合わせ、渡辺さんが代役の「番外編」に切り替えたことも。その年の暮れ、渡辺さん自身に乳がんが見つかり、21年2月に摘出手術。それでも同年3月の「第36回」の予定は変えなかった。現在も再発予防の薬を服用する渡辺さんは問い掛ける。「街並みが整えばいいのですか? 補助金で新しい人や企業を呼び込めばいいのでしょうか?」。「被災者置いてきぼり」の現状を強く危ぶむ。「(手術後も)じっとしていられませんでした」
爆心地の写真
17日のトークの会は、番外編を除けば「第50回」。戦後80年の終戦の月ということもあり、これまでとは少し趣を変え「戦争と原発」をテーマに据えた。ゲストは原発事故後、福島県会津若松市で避難者支援や放射線量測定に当たる片岡輝美さん。原爆投下直後の広島、長崎を撮った元米軍従軍写真家ジョー・オダネルと親交を深め、その没後には、上皇后さまや前ローマ教皇・フランシスコの心も動かした「焼き場に立つ少年」などの写真を遺族から託された本人だ。渡辺さんは応召後、生きて帰ることがなかった父に思いをはせ、言葉を継ぐ。「戦争経験者に“真の戦後”はない。戦争の心の傷は消えないから…」。福島県では甲状腺がんなど、さまざまな疾患の増加が指摘される中、「“真の原発事故後”もない」と唇をかむ。「核と人類は共存できない—。片岡さんからは、そんな話も聞けるはずです」
コロナ禍以降、「来場者は始めた年の半数に満たないときもある」と明かすが、「(トークの会の)意味は逆に重みを増している」と言う。福島県が「自主避難者」に避難先住宅の明け渡しを求め強制執行にまで至るなど、「すごく理不尽な目に遭っている被災者は相変わらず多い」。今は福島をチベットと同様“心の故郷”と感じる渡辺さんは言葉を継ぐ。「福島の声を聞くたび、私はおのずから“共震”する」。そして、視線を先に向ける。「原発事故発生時、現場に身を置き、『今、ようやく話す決心がついた』という人もいる。これからも尽きることのない『福島の声』を届けていきます」 |

今年5月に開催された「トークの会『福島の声を聞こう』Vol.49」。ゲストスピーカーの歌人・三原由起子さん(右)は原発事故後に詠んだ短歌を披露しながら、原発事故前と事故後の故郷について話し、復興の在り方や進め方に強い疑念を呈した |
◆「渡辺一枝トークの会『福島の声を聞こう』Vol.50」◆
17日(日)午後2時〜4時、セッションハウス(地下鉄神楽坂駅徒歩1分)ガーデンで。
ゲストスピーカーの片岡輝美さんは、日本キリスト教団若松栄町教会員で、東電福島第一原発事故後、「会津放射能情報センター」代表などを務めている。
参加費1500円。セッションハウス企画室 Tel.03・3266・0461 |
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