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  埼玉版 令和2年7月号  
己を“無”にして、タンゴの「物語」に没入  89歳の歌手・前田はるみさん

タンゴ歌手としては初めて文化庁芸術祭優秀賞(音楽部門)を受賞した前田さん。抱いているのは愛猫のピーコちゃん。背後のCDは亡き夫で音楽評論家・永田文夫のコレクションだ。「だいぶ処分したのですが、まだ倉庫に5万枚くらいあるんです(笑)」。現在一人暮らしだが、2匹の猫と楽しく暮らしているという。「ピーコちゃんとキタちゃんが今の家族です」とほほ笑む
16日に練馬でコンサート
 戦後日本の復興期からステージで歌い、踊り、日本タンゴ界の第一人者として今も舞台に立ち続ける前田はるみさん(89)。本場アルゼンチンの人々からも“本物のタンゴ歌手”と称賛されたパワーのある歌声は、90歳を間近にした今も健在だ。16日のコンサートでも、ライフワークであるタンゴの名曲を歌い継ぐ。「上手に歌おうなんて思ったことはありません。ただ、タンゴの魅力は歌詞に物語があること。そこに没入し己を“無”にして歌うことはとても幸せです。ストレスがなくなりますね(笑)」

 「このごろはシルバーカー(高齢者用手押し車)を使ってステージに上がります」と前田さん。膝を痛めてはいるが、それ以外は健康だと笑う。歌に集中するため、ステージでは気負わず楽な衣装、楽なスタイルで歌うとほほ笑む。「当日は自然体の私を見ていただきたいですね」

 前田さんは1931年、栃木県足尾町(現・日光市)で出生。生家は鉱山を所有する家柄だったが、父が早世したため4歳のとき家族で上京した。戦争が始まると44年には一家で群馬県桐生市に疎開。既に歌の道を志していた前田さん。女学校の通学途中にあった劇場(映画館)の楽屋にまで出入りするようになり、ある日東京から来た楽団より急病にかかった歌手の代役を頼まれ、ステージデビューを飾る。

  そして女学校卒業後の49年、18歳のころ何のつてもないままその楽団を頼って上京。「典型的な『アプレゲール』(無軌道な若者)でしたね(笑)」。銀座のナイトクラブなどで流行歌を歌っていたが、そこでスカウトされる。当時浅草ロック座の専属劇団座長で、「アジャパー」で有名だったコメディアン・俳優の伴淳三郎主演の舞台「痴人の愛」のヒロイン役に園はるみの芸名で抜てきされたのだ。

 軽演劇やストリップショーで話題を呼んだロック座で前田さんはその後も舞台に上がったが、今度はその姿が文豪・永井荷風の目にとまった。「あなたは浅草の人ではない。丸の内に来なさい」と言われ、荷風の紹介で有楽町の日劇小劇場(日劇ミュージックホールの前身)に移籍する。「人との出会いのたびに新たな挑戦ができました。当時は他にも村松梢風さん、舟橋聖一さんら文筆家がよく楽屋に遊びに来てくれました。いい時代でしたね」

25歳で歌手に専念
 前田さんは当時同劇場の目玉だったトップレスのレビューなどにも出演し看板女優となるが、そこを約1年で退団してしまう。「25歳になったら歌手一本に絞ろう…。そう決めていました」

 歌うだけでなく踊りも交えた前田さんのステージは好評で、仕事は途切れることはなかったという。そして当時、見聞を広めるべくさまざまなジャンルのレコードを聴いていたが、アルゼンチンの女優で国民的なタンゴ歌手、ビルヒニア・ルーケのレコードを聴き衝撃を受ける。心の底まで響く強烈なリズムと、歌で物語を紡ぐタンゴの世界に魅了され、その情熱のままスペイン語歌唱を習得。2年間のアメリカ公演などを経て、60年にはラテン・タンゴ歌手として現在の名前で再デビューを果たす。「今は亡くなりましたが、憧れのルーケにお会いしたとき、私の歌声を『なんて力強い!』と褒めていただきました」

 その後、全国ツアーや、訪日してきた数々の中南米楽団との共演を重ね名声を確立すると、80年からはタンゴ歌唱のみに専念する。これと前後して、後に夫婦となる音楽評論家で訳詞家の永田文夫と出会っている。

 また82年、初めてアルゼンチン・ブエノスアイレスを訪問。ステージにも立ったが、本場でもその歌声は評価され、以降現在まで15回ほどアルゼンチンを訪れている。「オペラハウスのような大きなステージで歌わせていただいたときにはスタンディングオベーションを受けたこともあります。また、現地でテレビや映画に出演させていただきました」

夫婦で音楽人
 永田と結婚した当時は家庭に入ることも考えたが、永田に「それでは僕らが一緒になった意味がない」と言われ現役続行。永田が亡くなるまで、夫婦であり、音楽人としてパートナーであり続けたという。「私が毎日発声練習するのを、夫はいつも他人に自慢していました。だから今も毎日続けてます。声が出るのもそのおかげでしょう。腹筋が鍛えられ健康にもいいですね」

 現在、前田さんは隔週でタンゴ教室を開き後進を指導するほか、年に4回以上はステージに立つ。「私は才能がないので努力をするしかなかったですし今もその延長です。ただし、努力をすることをつらいと思ったことは一度もありません。それに私が楽天的なのも長く続けられる理由なのかもしれませんね」

♪アルゼンチン・タンゴ コンサート 〜世界のタンゴVol.39〜
伝説のタンゴ歌手 前田はるみ(89歳)再び!

 16日(木)午後2時、練馬文化センター(西武線練馬駅徒歩1分)小ホールで。

 予定曲:「エル・チョクロ」「パリのカナロ」「ジーラ・ジーラ」「夜のタンゴ」「ピアニスタンゴ」「ラ・クンパルシータ」ほか。

 出演:前田はるみ、チコス・デ・パンパ(バンドネオン・北村聡、バイオリン・永野亜希、ピアノ・宮沢由美、コントラバス・佐藤洋嗣)、KaZZma。

 全席指定5500円。問い合わせはインターナショナル・カルチャー Tel.03・3402・2171

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