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  東京版 平成19年5月上旬号  
60歳「やっと人生の舞台に」   童謡詩人/矢崎節夫さん

特にお気に入りの詩は「大漁」と「世界中の王様」だと言う矢崎さん。「みんな自分というお城に閉じこもって、全部見たと思っている。でも、みすゞさんの詩を読んだらうれしい言葉にあふれていて、窓を開けてみるんです。すると、世界はこんなに広いと喜びになる。いろんなまなざしを気づかせてくれるのです」
 
 「大漁」などの詩で知られ、多くの人に親しまれている童謡詩人、金子みすゞ。25年前まで埋もれていたみすゞの詩を世に広めたのが、彼女と同じ童謡詩人の矢崎節夫さん(60)だ。みすゞの全集を発行してから、執筆や講演など、みすゞ関係の活動で多忙を極める矢崎さん。自らの創作をする時間もないが、今月 60歳を迎えた矢崎さんは焦らない。「やっと人生の舞台に立ったような気がします」と、人生観やみすゞのまなざしの魅力について熱く語った。

金子みすゞの"まなざし"に魅せられて
 童謡好きの母の影響もあって、小学生のときに童謡詩人になると決めた矢崎さん。金子みすゞの詩との出合いは、大学1年生の時。通学中に読んでいた岩波文庫「日本童謡集」の中に、みすゞの詩「大漁」を見つけたのだ。

 当時、わずかなファンを除いて、みすゞを知っている人はほとんどいなかった。

 初めて読んだみすゞの詩は、「生きることと死ぬこと、『生かされている』ということが表現されていた」。

 「浜は祭の ようだけど 海のなかでは 何万の 鰮のとむらい するだろう。(岩波文庫『日本童謡集』与田凖一編)」

 大漁を喜ぶ人間側ではなく、弔いをするイワシ側の目線。ものを反対側から見せてくれる、「まなざしをひっくり返す」童謡の詩は初めてだった。衝撃的だった。それから16年に及ぶみすゞ探訪の"旅"が始まる。

 みすゞが投稿していた下関の商品館という建物を手掛かりに、ゆかりの人物を探してほしいと現地の友人に依頼していたところ、ついにみすゞのいとこが見つかった。いとこは東京にいるみすゞの弟を紹介してくれた。そしてあふれるように、「みすゞ」が表に出てくる。

 弟、上山雅輔さんは、劇団若草の創設者。電話をすると、「みすゞはわたしの姉です。姉を覚えていてくれてうれしい」と。後日、512編の詩が書かれたみすゞの遺稿集3冊と写真を預けてくれた。1982年のことだった。

 それまで多くの人がみすゞのことを尋ねても上山さんは答えなかった。なぜ矢崎さんに遺稿集を預けたのか。「今まで出さなかったのは、みすゞさんは雅輔さんの宝物だからです。雅輔さん自身の心が解放されてきて、お姉さんを自分から少し放してもいい、と思った時期だったのでは」

 遺稿集を読んで「これは消えるわけない」と確信した。512編すべて活字にして、自分以外の人にも読んでもらいたい。出版社に掛け合ったが、「童謡詩集は売れない」と断られる。だが、そのころ設立したてのJULA出版局に熱い思いが伝わり、300部の限定版としてみすゞの全集を出すことに。

 ところが83年12月、みすゞと矢崎さんのことを取材した記事が朝日新聞に掲載されると、大反響。出版社の電話が3日間鳴りやまず、1000部作ることになった。

 84年に全集が出て10年後、「金子みすゞの生涯」を書いた。夫にうつされた病が悪化し、娘を残して26歳で自殺したみすゞを、暗い悲劇の人だという人もいる。しかし矢崎さんは、「亡くなって半世紀以上たつのに、小学校の恩師らたくさんの人が覚えている。すごくいたずらっ子で明るい、魅力的な人だったと思います」と言う。

 その後、みすゞ人気は衰えることなく、書籍や演劇、映画が次々と作られ、03年の生誕100年を機に故郷の山口県長門市には金子みすゞ記念館が建てられた。みすゞの詩は外国語にも訳され、「ネパールみすゞ基金」が設立されると現地の学校建設や医療キャンプにつながった。

 矢崎さんが「みすゞ」と出合わなければ、わたしたちも「みすゞ」と出合わなかったかもしれない。「みすゞ」で矢崎さんの人生は変わった。遺稿集を手にしたころには、童話集「ほしとそらのしたで」で赤い鳥文学賞を受賞した矢崎さんだが、全集の出版以来、講演や記念館館長としての仕事などに追われている。「ぼくの人生をかけた仕事、創作ができない。それはじくじたるものがあるんだけど…」と言いながらも、「まだ『みすゞ』で用が済んでないんですよ。焦ってもしょうがない。死ぬまで創作したいだろうし」と。

 自作はみすゞに影響されたくないと言う。「同じような作品を書くのは無理です。特別な人ですから」。みすゞの魅力は「まなざし」だと矢崎さんは語る。「『みんなちがって、みんないい』というフレーズが好きだとよく聞きますが、その前に『わたしとあなた』が『あなたとわたし』にならないと。まなざしをひっくり返してみないと」と矢崎さんは言う。「それが相互理解。『わたしとあなた』だと自分が上。すると『あなた』を理解する前に、『わたしを理解しろ』と押し付けるんです」

 矢崎さんは5月5日、60歳になった。「この間までは年をとるのが嫌でした。でも最近は、60年も歴史を作ってきたんだからそれは代えがたい、と思うようになりました」。年を重ねることで、"オリジナル作品"の自分の歴史を作っている。だから焦らない。「やっと人生の舞台に立ったような気がします。先がおもしろいな、と感じています」

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