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  東京版 令和5年5月下旬号  
中田喜直の名曲を次世代に  音楽家で喜直の妻・中田幸子さん

中田幸子さんは現在も、指揮やコンクールの審査員を務めるなど、忙しい毎日をおくる。コーラスの指導者、ボイストレーナーとしても活躍する幸子さんが長年、指導しているのがアマチュアの女声合唱団「みずばしょう」。同合唱団の来年の自主公演では「中田(喜直)の曲だけを演奏しようと思っています」と話す
喜直生誕100年記念コンサート、27日に開催
 今年は、日本を代表する作曲家、中田(なかだ)喜直(1923〜2000)の生誕100年となる節目の年。それを記念して27日、紀尾井ホールで「中田喜直 生誕100年 水芭蕉コンサート」が開催される。2001(平成13)年から命日月の5月に定期的に催されてきた「水芭蕉コンサート」。今回は楽曲演奏のほかにナレーション付きの映像も加え、中田の人となりを紹介する。「中田の音楽が消えてしまわないように」と同コンサートを実施してきた中田夫人で音楽家の幸子さん(85)は、「中田の曲を次世代に伝えよう」との思いでタクトを振る。

 その生涯で童謡を中心に歌曲、合唱曲、ピアノ曲など3000曲以上を書いたという中田喜直。「夏の思い出」「めだかの学校」「ちいさい秋みつけた」「雪の降る街を」などの叙情的なメロディーは、今も多くの日本人に親しまれている。

 幸子さんは、中田が76歳で亡くなった翌年からコロナ禍などのため開催できなかった19年〜21年を除いて毎年、「水芭蕉コンサート」を開いてきた。それは、「中田の楽曲の灯を絶やしたくないという気持ちからでした」と話す。「作曲家が亡くなると、時が過ぎるとともにその音楽は忘れられがちになります。それではいけない、誰かがやらなければとの思いから、続けてきました」

 使命感を持って開催してきた「水芭蕉コンサート」も今回で20回を数える。「最初のうちは、どこまで続けられるかしら、と心配しました。年を重ねるに従いコンサートを開くのはしんどくなってきましたが、『中田の生誕100年までは』との思いでやっとここまできました」

 そして、幸子さんは今後のことについてこう話す。「スタッフのみなさんが一生懸命やってくれます。ここまでくれば、私がいなくても大丈夫。この先、私が(水芭蕉コンサートを)できなくなっても、みんなでやってくれればいいと思っています」

 幸子さんは1937(昭和12)年7月、東京出身。子どものころから音楽が好きで、声楽や指揮法などを学ぶために入学したフェリス女学院短期大学音楽科(現・フェリス女学院大学音楽学部)で講師(後に教授)の一人だった中田と出会う。「中田からは(西洋音楽の和声理論の)機能和声学に対抗した(中田独自の課目)“実用和声学”を教えてもらいました」

 その後、幸子さんは日本初のプロの女声合唱団「フェリス女声合唱団(日本女声合唱団)」に在籍し、中田の女声合唱曲を含め多くの女声合唱作品を演奏する。60(同35)年に14歳年上の中田と結婚。それから中田とは40年間連れ添うことになるが、音楽の“師”という意識は、いつまでも残ったという。「家で『先生』と呼んでハッとするときもありました。だから、中田には最後まで頭が上がりませんでしたね」

詩に触発されて…
 心に染みるような優しさが特徴の中田の楽曲。それらの曲は、「詩に触発されたイメージから作曲された」と幸子さんは話す。「詩がいいとメロディーが自然と頭に浮かんでくると言うんですね。作曲の依頼がきても詩がよくなかったら、『僕、これはちょっと無理だから』と断っていました」

 1923(大正12)年8月、東京に生まれた中田喜直は、父が「早春賦」で知られる作曲家という音楽一家に育つ。子どものころから詩を読むのが大好きで、中でも西條八十編「日本童謡集・上級用」がお気に入りだった中田は10歳のとき、同書に載っていた詩に曲を付けた。それが最初の作曲だったという。「中田の原点はこの『日本童謡集』なんです。(太平洋戦争で東京音楽学校ピアノ科を繰り上げ卒業し)陸軍のパイロットになってからも、この本をリュックの底に忍ばせて持ち歩き、繰り返し読んだと言っていました」と幸子さん。

 中田は戦後まもなく作曲活動を本格化させ、47(昭和22)年に連作歌曲集「六つの子供の歌」、49(同24)年に「夏の思い出」を発表する。また、55(同30)年には大中恩ら作曲家仲間と「ろばの会」を結成し、「良い詩に良い曲を付けた、新しい子どもの歌を作ろう」と活動。同会からは「ちいさい秋みつけた」などの名曲が生まれた。幸子さんが今も思い出すのは、演奏会のステージでお母さんたちに話していた中田の姿だ。「童謡を歌って育った子どもは悪い人にならない。だからお母さんたちが一緒に歌ってあげてくださいね、としょっちゅう言っていました」

童謡は日本の文化
 また、中田は「童謡は日本の文化だとも話していた」と幸子さん。「寺子屋のわらべ歌から唱歌に、それから童謡になっていった。日本には歌によって子どもを大事に育ててきた歴史があります」

 そんな幸子さんが気掛かりなのは「最近、母親が子どもにしっとりと聞かせるような童謡が少なくなった」ことだ。「今は、ジャズっぽいリズムに詩を当てはめたような童謡が多いんです。中田が生きていたら嘆くだろうなと思います」。生涯をかけて「子どもによい音楽とは何か」を追求してきた中田。その遺志を継いで、「水芭蕉コンサート」や、世界の子どもたちを集めての童謡フェスティバルを開催してきた幸子さん。「これからも“よい童謡”を広めるために力を注いでいきたい」と話す。


「めだかの学校」を作曲した1950(昭和25)年ころの中田喜直
♪中田喜直 生誕100年 水芭蕉コンサート 〜やさしさを見つめた心の作曲家〜 ♪
 27日(土)午後2時、紀尾井ホール(地下鉄四ツ谷駅徒歩6分)で。

 予定曲は「夏の思い出」、「すばらしき自然とともに」、「『女声合唱曲集Ⅰ』より『ぶらんこ』『青空の小径』『夏河』『ねむの花』」、「歌をください」、「結婚」、「鳩笛の唄」、「『海四章』より『馬車』『蝉』」、「『六つの子供の歌』より」、「金子みすゞの詩による『ほしとたんぽぽ』より」、「ピアノ・ソナタ 第1楽章」、「2台のピアノのための『軍艦マーチによるパラフレーズ』」ほか。出演は、司会・歌:眞理ヨシコ、ソプラノ:櫻井愛子、バリトン:土屋広次郎、加耒徹、ピアノ:松下倫士、田中翔一朗、女声合唱:フェリス・フラウエンコーア(ピアノ:漆間有紀)、指揮:中田幸子。

 全席指定。A席5000円、B席4000円。問い合わせはナカダ音楽事務所 Tel.045・489・4797

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